今年はどうなる
さてと、そろそろ今年の撮影計画を練らなければならないな。とは言うものの『素顔のままで』が
始まった当初のようにやりたいことが目白押しってわけでもない。
しかし、やる気が失せてきたと解釈されては困るし、ますますやる気満々なのである。
暖めている撮影プランを3つ揚げろと言われれば、即座に答えられるし、具体的なイメージだって
出来ている。だからと言って、それをそのまま実行しようなんて気持ちでまなちゃんに会いに行く
ようなことを、最近しなくなったのである。
広島での撮影が多いので、ロケーションにも詳しくなく、季節によって風景は大きく変化するので、
凝り固まったイメージを引っさげて行っても余り意味はないし、根本的に考え方が変わってきたと
いうことだ。
私は、ロケハンの重要性を説いていたが、まなちゃんが広島に引っ越してからは、それが充分出来
ていない事の方が多い。まなちゃんが学校に行っている間に、時間があったりするとそれを利用し
て見て回ることがある程度で、どちらかと言えば、まなちゃんに頼っている部分がある。
しかし、ロケハンはカメラマンがするものだって、誰が決めたんだ?
『素顔のままで』はまなちゃんと私で創っているもので、一番の理解者はパートナーのまなちゃん
であって、そのパートナーの感性を信頼してどこが悪い?って開き直っておこうかな。
まなちゃんの思い出の場所であったり、気に入った所で撮ることが、どんな豪華なスタジオよりも
いいと思っている私としては、そんな気分をしっかり伝えてくれるまなちゃんを、大満足で撮影し
ているのである。
但し、実際に撮影するポイントは私が100%決めているし、まなちゃんをどういう風にそのロケ
ーションに溶け込ませるかのイメージも、私がすべてその瞬間に感じたものを大事にして決める。
その私が決めたシチュエーションをまなちゃんが楽しんでくれているように感じるのは私だけだろ
うか・・・ また、そうやってそのシチュエーションにまなちゃんをそっと置く時が私にとって一
番ワクワクする瞬間なのである。
ピタッとはまった時の快感はちょっと他では例えようがないほどである。
こうやって、散々パートナーと呼んでしまっているが、まなちゃんと最初に出会った頃から、ベス
ト・パートナーになるような予感がしていたのだが、今考えるとそんなに軽々しくこの単語を使う
べきでは無かったと、今になって少し恥ずかしい想いもある。
これは、実際に今のような関係になってみて初めて気付くことなのかもしれない。以前にもこの撮
影雑記でパートナーシップについて語ったが、単に個人撮影の相手をパートナーであると簡単に言
ってしまっていいものかと思いつつ、その言葉のずっしりとした重みを考えさせられているのだ。
最近、メール交換させてもらっている関東の人とは、同じような境遇で話があうことが多く、お互
いに自分たちのやってきたことが、間違っていなかったと感じている。
それに引き換え、私のしていることの表面的な部分だけを、安易に真似されるのは勝手であり結構
であるが、パートナーという言葉の重みを分っているのかと指摘したくなる場合もある。
もう去年になるが、9月の水着撮影でまなちゃんが白いシースルーのワンピを身につけていたが、
あの衣装の提供者でもあり、プロのヘアーメイクさんが仲間に入ってくれることになりそうだ。
ってもうすでに参加してくれているみたいなもので、あの衣装だって、彼女の気持ちが一緒につい
てきてたように思えた。
BBSをご覧の方はすでにピンときていることだろうが、あのkeikoさんである。
『素顔のままで』をはじめとして、それが宣材として使われようと、私の撮影は利害関係など取っ
払ったところでやっており、今回のkeikoさんもその例に漏れないのは当然のことである。
ただ、今までやってきた、私とモデルの二人っきりの撮影という基本スタンスが崩れることになり、
その影響がどこでどう影響するかは予想できない。
今まで、ヘアーメイクやファッションについては二人で考えてやってきており、それも楽しみのひ
とつであったが、所詮素人ゆえの限界もあるわけだ。特にまなちゃんにとってはかなり負担を感じ
させていたのだが、私としては飾り立てることにまったく興味はないし、逆に邪魔になると思って
いた。
しかし、表舞台で姿をさらすのはモデルであるまなちゃんであって、気にするなと簡単に片付けら
れる問題ではないのである。実際に、彼女が一番頭を悩ませているのがここなのであった。
それは、私も気付いていたが、だからと言ってヘアーメイクさんやスタイリストさんにお願いしよ
うなどと考えたことは一度もないし、今後も二人でいろいろやりくりしていくつもりだった。
では、どうして結びついたかであるが、お互いに一緒にやりたくて連絡を取り合ったわけでもなく、
たまたま『素顔のままで』を見たkeikoさんからメールをもらい、私の撮影に共感してくれた
と共に、まなちゃんのファンになったとかで、まなちゃんともメール交換が始まったりという具合
で、自然と仲間意識が芽生えただけなのである。
もちろん、まなちゃんやゆみちゃんにとって、プロのヘアーメイクさんが手伝ってくれることは、
仕上がりが写真にどう反映されるかはもちろんのこと、女の子としての楽しみが増えるわけだ。
私としては、そういうメンタルな部分が大きいと思っているし、ビジネスライクにやられてしまう
のであれば、この話は出なかったことなのである。
普通、ヘアーメイクがつくなんて事は、ありがたいことで誰もが望むことかもしれないが、ちょっ
と・・・いや、かなり私は偏屈なのかもしれないな。
先ほど書いた、今までの二人で創り上げてきた空気感にどんな変化がでるかという心配であるが、
単に、スタッフと言う意識で参加し、自分の仕事であるメイクやヘアーに目を光らせるって感じで
はないし、価値観の近い者たちが集まっていいものを創るということに集約されていて、その見返
りを誰も求めない仲間意識なわけだ。
まなちゃんは、私との撮影で無理に演技をして見せているわけではなく、時には愛しい恋人を見る
ようにレンズの奥の私の目を貫いてくるが、そんな雰囲気の二人の空気が少しでもよどんでしまう
ことが一番怖いことであったのだが、それも余計な心配のように思えてきた。
最初は、多少の戸惑いがあるかもしれないが、演技ではないのでそれをチェックされることもあり
得ないわけで、同じ空気の中に吹く風のようなものにすぎない状況が作れると思っている。
そのkeikoさんも、そのことを一番気にしてくれているが、彼女が大事にお守り代わりに持っ
ててくれるのが、まなちゃんが水着撮影後に大急ぎで書いた、一通の直筆の手紙であることからも
通じあえると考えているのである。