時が解らせてくれることがある
過去に私とまなちゃんに宛ててメールをくれた方から、今回の17弾を見て感想を頂いた。
彼に言わせれば、今年に入ってからまなちゃんがイメチェンを計画していることを知り、その後に
ヘアースタイルを変えたまなちゃんのサービス版を私が一足先にフラットベットでスキャンして、
この撮影雑記だけで公開し、その後かなりの期間があっての17弾であったが、まるでプレステ2
の宣伝効果のような感覚であり、早く見たいという衝動があったというのだ。
なるほどなぁ・・・なんて思ってしまったが、そんな風に思ってくれて心待ちにしてくれている人
もいるのだ。
彼は公開された写真をページ丸ごとすべてダウンロードし、ゆっくり見てくれているらしいが、ま
ず最初に何を見るかと言うと、時系列に並べられたカットを、撮影の雰囲気を味わいながら見てく
れているそうだ。一言で雰囲気と言っても色々あって、その時のまなちゃんと私の間の空気感を感
じようとしてくれているらしい。
その後、そのロケーションを考えながらもう一度ゆっくり全体を見渡し、最後に構図やレンズの選
択について見ているというのだ。
私としても、このように見てもらえることが、一番嬉しいと思えるわけで、まなちゃんという一人
のモデルを撮り続けている背景には、撮影技術を磨きたいからという発想は無く、一人の女性とし
て、どれだけのことがしてあげられるか・・・また、それが撮影を通して表面的に目に見えないモ
ノであっても写真表現の中でどう生かされ、表現できるか・・・ そんなおぼろげな、これもまた
具体的なカタチのないモノを求めていたのである。
こう書いてしまうと、まるでまなちゃんが私のポートレート撮影上の試みでのモルモット役のよう
に聞こえるかもしれないが、実際にそうであったなら、そんな空気を敏感に感じて自分に重ね合わ
せてしまう、まなちゃんを選んだのは大きなミスであったろう。
また、彼のメールにはこうも書かれていた。どうしてこれほどまでに、力を抜いてレンズを見つめ
ることができるのか・・・と。
これについてであるが、まなちゃんにとって私との撮影には緊張感はすでに無いだろうし、私が細
かく注文を付けて、言われた通りにやらなければ・・・と言った使命感もない。
私が設定したシチュエーションの中で、彼女なりに感じたままを見せているだけであるからかも知
れない。
それと「レンズ = 機械 → 記録媒体に記録されている」という感覚を、まなちゃんはある瞬間に
通り越せるのだと思っている。
レンズを見ているという感覚が無くなってしまうのではないだろうか・・・
そう分析すること自体ヘンなことで、私自身がそうであるから、きっとまなちゃんもそうなのだと
思うだけなのだ。そんな中で私はピントや露出を無意識にチェックし、まなちゃんは姿勢とか手や
脚の表現を知らず知らずに気をつけていることであろう。
ただ、お互いそんなことを忘れてしまう場合が時々あるようだが。
まなちゃんとの撮影のこの一年半を思い起こしてみると、最初の撮影では、あの広い鶴見緑地を連
れまわし、ちょこちょこと摘み撮りのような撮り方をしていた。
今となれば、何も分かっちゃいなかったのだと恥ずかしくもある。
しかし、こうやって長い時間をかけて、まなちゃんと向き合ってみて解ることがあったのだから、
それは価値のあることであったと思っているのだ。