空気まで写し込みたい
私がモデルを無闇に増やさないのには、いろいろ訳があるが、それについてどう考えているかを書いてみることにしよう。
自慢じゃないが、数多くのモデルを撮ろうと思えば、モデルに不自由することは今の私にはない。
WEBでモデル募集していないというのに、いつのまにか撮影依頼が消化されないまま溜まっていくような状態である。
しかし、私は自分が撮りたいと感じたモデルにしか興味を示さない生き物なのである。
贅沢だと言われても、選べるようになるまでには苦節何年というヤツで、昨日今日はじめてそうなれたわけではない。
こんなことを書いて、それが今日のタイトルとどう繋がるかはそのうち分かるから、まぁ聞いてくれ。
私が撮りたいと感じるのは、被写体として魅力的だと思ったからで、そう言ってしまえばカッコいいが、早い話しが好みのタイプであるということだ。ここで思いっきり公私混同してしまうし、切り分けられるほどドライにゃ出来ていないらしい。
このような考えでモデルに接しているのであるから、モデルのニッコリだけを頂戴してそれを撮っているだけでは満足できるわけも無く、お互いの気持ちが二人の間でぶつかり合ったり混じり合う瞬間を大事にしている。
ぶつかり合おうと思えば、モデルだけがいくら頑張ったところで一方通行であり、それも中途半端な作り笑いとなる。
逆に、私だけが一方的に惚れ込んで撮りたい撮らせてとアプローチして、それが実現出来たとしても仕方なくモデルされてしまうと、醒めてしまうと言うもので、その辺が難しいところなのだ。
まぁ、出会い頭の事故みたいに、いい表情が撮れる場合もあるだろうが、それはたまたま撮れただけであると考えている。
そのためには、仲良くなれなければ意味がないと思っているので、撮影目的以外でも気になる存在でいてくれるようでなければならない。
だから、撮影依頼を受けた場合に、それも何かの縁であると、なんとか可愛く美しく気に入ってもらえる写真を撮ってあげようと試行錯誤し、頑張って撮るんだという人も多い。
それについては、写真がウマイことよりも尊敬してしまう。私には出来ないことというか、まっぴらご免である。
わがままだという人も多いだろうが、わがままできるようになってみれば?とお返ししてもいい。
それは、経験してみて分かることかもしれないが、息が合った撮影が出来てくれば、モデルとの距離感が大事であることに気付く。そして、二人の間の空気感をも感じさせる写真が撮れるように思うのである。
ただ単に、綺麗で可愛い女の子の姿が写っているだけでもいいだろう。それを完璧な撮影技術で捕らえていれば、上手い写真と言えるのだろうが、私は写真撮影技術が上手いと言われることには、それほど魅力を感じないのである。計算されつくしたフレーミングも勝手にやってくれればいい。
風景写真などに比べてポートレートとなると、写真撮影の技術以外の要素が大きいと私は勝手に考えていて、いくら写真の知識が豊富であっても、そう簡単に無色透明の空気は撮れやしない。
だから私は、わがままを通したいのである。