『素顔のままで』第20弾!


ついにと言うべきか、やっとと言うべきか・・・いや、どちらでもなく、もうそんなに撮ったの?ってところが正直な所で、ちょうど10弾を撮ったのが三次にまなちゃんが移った時であるから大阪にいた頃のまなちゃんよりも、三次で生活するようになったまなちゃんとの撮影の方が多くなってしまったわけで、私も広島に出かけて行くことが当然のように思えるようになってきた。
250kmと離れてしまった距離も苦痛だと感じたことはないし、逆に遠距離であることで逢いに行った時は、出来るだけのことをしてあげたいと思えるようになり、こんな素晴らしいパートナーを大切にしたいと、感じれるようになった。

今回は、行くと決まった時から撮影の前夜は蛍を見に行こうということになっていた。まなちゃんの住む三次から実家のある高野町へ行く途中に「ほたる見公園」というものがあり、去年の秋に高野町にロケに行く途中に、まなちゃんに話を聞いていたので、来年の夏は是非行ってみたいと思っていたのである。
当然のことながら、夜中に蛍を見に行くのに一人で行くことほど、情けないことはない訳で、まなちゃんと一緒に行けることに意味がある。
隣にまなちゃんがいることが、手を伸ばさないと確認出来ないほど真っ暗な川沿いの道を歩いて、川面を乱舞する蛍を見、そして目の前に飛んできた蛍を追いかけ、指先にとまった蛍の光を見つめているまなちゃんの姿を見ていると、撮影前から念入りに撮影プランを練ることの無意味さを感じるのであった。

ロケ地に向かう車の中での会話や、一緒に撮影地を探して、あちこちとドライブする中で生まれるものであるし、いざ撮影となってもその時に、その場のそのシチュエーションでまなちゃんが何を感じるかを一番に優先したいと思うのである。それは私も同じであり、その場所でのまなちゃんを見て何を感じその姿をどう残してあげたいと思うかが、この水谷愛というモデルをパートナーに選べたことで、最高に贅沢な撮影ができるのだと思えるようになったのである。
それは、ずっと以前から感じてはいたのだが、こんなことは誰もが出来ることではないと改めて気がついたのはごく最近のことである。

この20回と言う会を重ねてきたが、お互い忙しい身でありながら過去に一度も、どちらかの都合で中止になったことはない。お互い仕事としてこの『素顔のままで』をやっているわけではないし、やろうと言うことになった後に、何かの障害が発生することはあったと思うが、それをやりくりして、何事もなかったように撮影ができている。それに男と女であるから、男のカメラマンが毎月やってくることは、女の子のまなちゃんにとっては、単純に撮影を続けることだけでは済まされない苦労もあったはずである。しかし、何事もなかったように毎回私を迎え入れてくれるまなちゃんにはいくら感謝しても感謝し足りない。

そんな想いを込めての20回目の撮影であったが、決めていたのは川に行こうということであった。しかし思いの外の快晴となってしまったし、トップライトの時間が長いこの季節であるから、影があって、まなちゃんの雰囲気を表現できそうな場所がなかなか見つからず、クルマを走らせていたのだが、ちょっとピンと来た細いクルマ一台がやっと通れるような道を見つけ、被い茂った草木にクルマの横っ腹をこすりながら進んでいくと、土砂崩れを予防するための防護壁のようなコンクリートのトンネル風の建造物の下が日陰になっていたので、そこで撮影することにした。

余談であるが、このようなクルマの扱いをする私をみれば、何故EOSをメイン機種に使っているか分かろうと言うもの。決してコレクターではなく道具に徹してくれなければ、私を満足させることは出来やしない。

話は戻って、最初はカラーでいつものように撮影していたのだが、何本か撮っていて自然にこのシーンをモノクロでも撮っておきたいと思ったのである。ここでは派手な黄緑色のワンピースを着ているのであるが、それはそれでシンプルなコンクリートの壁との対比で、いい感じだったのだが、モノクロで撮りたいというヒラメキを信じてみたのである。

私は、ここ3年ほどモノクロを使っていなかったのだが、常に新しいフィルムは用意していたのである。だが、モノクロで撮りたいという気分になった時に使おうと決めており、流行だからとか、変化をつけるためには意地でも使わないつもりであった。
しかし、今回の撮影では自然にモノクロで・・・という気分になったのであるが、初めてまなちゃんをモノクロの世界に閉じ込めてみて、悪くないなぁ・・・と思っているので、今後モノクロのまなちゃんが、頻繁にお目見えすることになるかもしれない。
という事で、ダイジェスト版のPart1は、さっそく今日スキャンしたモノクロバージョンである。

<−戻る