無くて七癖


BBSでも話題にしているが、撮影しているといい表情を撮り逃すことは多い。しかし、そんなことも感じないようでは、いいモデルだとは言えない。

今度はもっといいものを撮ってみせる。というような気分が残らないモデルとの撮影は楽しくも何ともない。
あの時のあの表情が良かったのに、撮る準備が出来てなかったとか、油断してたとか・・・ そんなことは毎回感じることであり、次回への期待も高まるってものだ。
しかし、その時はそんなことを感じていても、それをいつまでも引きずっているわけではないが、イメージとして頭のどこかに残すようにしている。
それは、過去に続けて撮り損ねた反省から来ていることだが、今では習慣になっている。

まなちゃんとの『素顔のままで』の最初の撮影からちょうど2年になるが、半年ぐらいはそんな思いをすることが、かなりあった。
しかし、そういう撮り逃すことも徐々に少なくなってきたが、それは私とまなちゃんの息が合ってきたからである。

息が合うとはどういうことか、まなちゃんが動いて私がシャッターを切るという単純な作業だが、そのスタートの合図はどちらが出すとかも決まっていないが、自然に流れ出して自然に収束する。
これは、簡単なようでなかなかそう上手く行くものではない。
そんなことを深く考えたことは今までなかったが、撮り初めと、リズムを出すのと、撮り終りの3つのポイントをがあって、それぞれに難しさはある。

撮りはじめる時も、ポーズや表情が決まるのを待ってシャッターを切り出すことは少ない。素の部分を少し残したタイミングから自然にスーッと入って行けているように思う。また、そこからいい感じでリズムに乗れればしめたものだ。そのリズムもお互いが上手く噛み合わないと成功しない。
その後、フィニッシュに持ち込むのだが、終わりかけてからの最後のひと粘りがキモなのである。
ここでも、素に戻る一歩手前にオイシイ表情が隠れていたりするのだ。こいつを覚えてから、いい表情をものにする確率が非常に増えてきた。

しかし、誰がモデルでも同じようにそれが出来るわけではない。まなちゃんとの呼吸を身体が覚えたからできることである。
まなちゃんだって、あかねちゃんだって癖があり、無意識だと思うがそれに上手く乗っかれれば、動きが予測できたりするのである。多分、モデル側からも私の癖は見抜かれているだろうが、その方が都合がいい。このお互いの動きのを予測するというのは大事なことなのである。
しかし、決して先回りしてはいけない。二人で同じリズムで乗り切ることが大事である。
文章で書くと、細かく計算高い奴に感じるかもしれないが、実際の撮影中はそんな計算などしている余裕などなくて、心地いい感覚だけがある。

先日の茜ちゃんの撮影でも、少しそのような感覚を得られたような気がしたのである。何度も茜ちゃんを撮っている人から言わせれば、たかが3回の撮影で・・・と言われるかもしれないが。
過去の経験はもちろんのこと、茜ちゃんをファインダー内で見つめ続けている内容の濃さは負けていないはずだ。ポートレートを撮る上で見逃してはならないポイントは60本も撮ればだいたい見えてくる。伊達に長くやってないのである。
とは言っても、そういうモノは探そうと思って見つけられるもんでもないだよなぁ。

そんなこともあって、今回の茜ちゃんでは、今までにない雰囲気の茜ちゃんを何度か捕まえることができたと思っている。
茜ちゃんは、まなちゃんとはもちろんぜんぜん違うが、シャッターをリズムよく切ることができれば、その後にいい瞬間を作ってくれるのだ。しかし、その瞬間は普通にしてても見つけることはできない。

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