撮影の本来の姿とは


昨夜、掲示板に書き込みがあり、過去に何度か訪れてくれた方であり、見覚えのある名前であったが、彼は元々、茜ちゃんの画像を検索して見に来てくれていたのだが、その後立ち止まってくれていたのである。
理由はどうであれ、名の通った茜ちゃんがきっかけであろうとも、踏み止まって『素顔のままで』を見てくれたことは有り難い。

茜ちゃんとの撮影やDee-Modelsたちの撮影は、所詮撮影会であって、私の思うままに撮れて、そんな私のことを理解してくれるモデルを相手にした撮影ではない。
こんな撮影は、たとえプロであろうともそう簡単に実現出来るものではないだろうし、撮影会では到底そんなことができるはずもない。

そんな撮影の相手としてまなちゃんがいるが、モデルとして魅力を感じたのが最初のきっかけではあったものの、それだけでは今の『素顔のままで』を作れたとは思っていない。
特に変わった撮影をするわけでもなく、お金をかけた撮影などできるはずもないが、お金で買えないことが、まなちゃんが相手であるから出来ているってことで、それは他にはない私たちの財産であると思っている。

もし、最初の撮影で私がまなちゃんにギャラを払っていたとしたら、恐らくここまで続く事はなかったと思うのである。たいしたモデル料が払えるわけじゃないが、払うのが勿体無いとかそんな下世話な問題ではない。
カメラの前で、ニッコリ笑ってくれるモデルとしてまなちゃんを選んだわけじゃないのだから、なんか報酬って感覚自体が私にはない。
また、「ギャラもらってるから頑張らなくっちゃ・・・」って思われても、私がやりたかった『素顔のままで』は成立しないし、こんなタイトルにも多分なってなかった。

こうやって、WEBで公開し、多くの人に見てもらっているが、私としてはいざ撮影の日を迎えると、そういうことをまったく忘れてしまうのである。その日一日をまなちゃんとどう過ごすかだけしか見えていない。そして、その中で思いつきやヒラメキで撮ってみようかって感覚で、そんな私の誘いにまなちゃんが自然に応えてくれているのである。

その点、茜ちゃんを撮る時なんかは、他の撮影者のことが気にならないと言えばウソになる。茜ちゃんが好きでたまらないファンの人たちには、その想いの強さでは敵わない。多くのカメラマンを相手にしている茜ちゃんを、如何にして他と違うアプローチで切り取るかに意識が行ってしまっている自分がいるのだ。あーオレはなんてことをやってるんだ・・・って思いにかられることだってある。人に差をつけるためにこんなことまでする撮影が私流なのだろうか・・・。
思いのまま、感じるままに撮れるのが本来の姿であるはずなのに。
話はそれるが、クライアントの監視のもとでの撮影も似たようなものだ。

背景や光の具合からベストアングルは決まっていても、あえて人の選ばない角度から無理やり狙うことも多い。そのままでは絵にならないのは明らかなので、なんとかしようと声を掛けたり、目立つ行動を取ったりと、思いつく限りのことをやっているわけだ。後は、シャッターを切るタイミングでなんとか、見れるものにしているような状態で、私本来の撮影とは、ほど遠いことにばかりに神経を使っている。

他の人の邪魔になるのを承知の上で、短いレンズで寄りまくることもあるが、なんでこんな事に気を使いながら撮影しなきゃいけないんだろう・・・という感覚が無いわけじゃないし、それを正当化するためには、周りから見ても納得させるだけの一体感を漂わせなければならないし、結果を残すことも必要だ。
茜ちゃんはプロのモデルとして来ているのであるから、そんな身勝手なカメラマンに対しても嫌悪感を現すようなことはないが、喜んでシャッターを浴びてもらうためには、何よりも結果である。それは、まなちゃんとの撮影でも同じである。
しかし、もっと大事なものが作れてきたのが『素顔のままで』であり、それの一部でも感じてくれる人がいるのは嬉しいことだ。

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