自分の進むべき道
写真をやりだすと、どうやら二つのパターンに分かれて行くようだ。ひとつは私のように撮影自体の過程やシャターを切るまでを楽しんでしまおうと言うタイプ。
もうひとつは、機材や感材に凝ったり、自家プリントやレタッチなども含めて楽しんでいるタイプ。私は後者にはなれないでいるが、今の自分のスタイルを維持しようとすれば、そこまで手が回らないと言う方が正しいかもしれない。
もちろん財政的なものもあるが、後者だけがお金がかかるわけでもない。いい撮影をしようとすれば、前者もしっかり投資は必要だからだ。
それよりも、私が気になるのは、ちゃんとした撮影もままならないのに、回りのいろんなことに目移りして、あれもしたいこれもしたい。誰かがやってるから自分もやらねば・・・ そんな行動パターンが見え見えの場合がある。
人の意見を素直に聞くのはいいことであるが、自分のしっかりしたレールも敷けていないというのに、何でも気になる情報に飛びつくのはどうだろう?
そうして行くうちに、自分の進むべき方向性を見つけると言うのなら分からないでもないが、どうやらそうではないようだ。
また、もっとそれ以前に現状でやらねばならないことが山ほどあるではないか? 目新しいことに走るのも結構だが、どうせモノにできず、また他のものが気になって仕方が無くなるのであろう。
若いカメラマンを見ていると、老婆心ながら気になることが多いのであるが、私の父はプロカメラマンであったが、私に写真に関して何一つ意見をしたことが無い。
プロにまでなれば、そう言うものなのかもしれないが、私も来年からは、同じ道を少しずつ歩んでいく事になりそうだが、自分が変わるとは思えないのである。
今まで私は、自分を売り込んだりしたことは一度も無いが、私の写真を買いたいと言う人が現れて、それに応じるとなればアマチュア気分のままではいけないのであろうが、まったく緊張感や不安を感じるような事は無い。それはちょっと依頼した方に対して失礼な事かもしれないが、まなちゃんとの撮影を始めた頃の方がプレッシャーはあった。
結局は、私の撮った写真が綺麗に上手に撮れているとか、写真学校で習うようなことが及第点で完成させられているからと言うような部分で依頼を受けたとは、これっぽっちも思っていないからなのである。
私が目の前のモデルに対して、どう接してそのモデルの魅力を引き出しているかに対してであると思っているのだ。そしてそれはプレッシャーを感じるような技術的なことや、機材などについて考え直したりすることではない。だから、迷いがまったく無いのである。
普段私がやってきている事を、そのまんまやればいいだけのことで、逆にそれが求められているのだから、なんら力む事もないのである。もちろん新しい事へのチャレンジを忘れたわけではないが、他が気になってしまって自分のやるべき事が見えなくなるようなことはない。
こんな風に考えられるようになったのは、まなちゃんの存在抜きでは考えられないが、『素顔のままで』はまなちゃんとだけモノであって、それを他のモデルとの撮影に流用しようなんて思わないし、仕事とは言え勿体無いぜ。
今後、仕事として撮影するとなると時間的な部分の制約も出て来るはずで、『素顔のままで』のように、レフを三脚にセッティングする時間も撮影の一部のようなゆっくりとした時の流れに身を任せるような撮り方は出来ないと考えているが、それも私流であるにはあるのだが、誰かにアシスタントをお願いする必要があるかもしれないな。
今夜のオマケ画像は、前回評判が良かった出会ったころのまなちゃんである。