ポートレートの真髄


最近、神谷氏が'82年に撮った作品をアップしている。19年前の同級生の写真で、その頃から彼はポートレートを撮っていたってことだ。その写真を見て私なりの感想を述べたのであるが、当の神谷氏本人も私と同じことを想って、当時の写真をアップしたとのことだった。

私がどんな感想を持ったかは後にして、その頃の私はいったい何をしていたのだろうか・・・
物心ついた頃から、父親の影響で身近にカメラが転がっていると言う環境であったので、小学生の頃から色々と身近なものを撮っていたが、同じ頃から興味を持っていたクルマに、その時期は熱中していたのであった。キヤノンのマニュアル・システム一式を盗難に遭っていたこともあり、写真に関しては、忘れていたとも言える。元来、機械モノが好きだったこともあって、免許とクルマを手に入れたことで、一気にその熱が爆発したとも言える。
しかし、熱中すると中途半端で終わらないのが私であり、趣味の域を越えてしまうのである。それがひとつですんでいればいいものを、どんどん新しいモノに興味を持ってしまうからたちが悪い。

その頃は、女の子と言えば撮るもんじゃなく、手に入れるものだとしか思ってなかったわけだ。まぁ、当時はかなりご盛んだったと今になって思うが、これがこの歳になってからじゃなくて良かったってことか。
そんな感じで、付き合った女の子と遊びに行って、撮ってあげるってことはあったが、それは作品撮りなんてモノとはほど遠かった。そこそこいい写真は撮っていたとは思うが、本人には自慢の彼女を写真におさめたいって気持ちしかなかったわけだ。

ちょうどその頃付き合った女の子との出会いで、ポートレートのモデルとして意識し出した出来事があった。クルマのローンとそのパーツ代を稼ぐためにバイトしてた所によく来ている女子高生だったが、進学校に行っていたのに、引きずるような長いスカートの学生服のまま遊びに来ていた子で、モデルをしていたのである。そして付き合いだすようになってからは、バイト先に撮影の休憩時間に電話をくれたりしていたのだが、いつだったか、モデルとして撮った写真を私に見せてくれ、その中の一枚をくれたのである。プリクラも無い当時のその時は、可愛い彼女の写真を喜んでもらったものの、徐々にこの程度の写真でカメラマンといえるのか?って想いが大きくなって来たのである。「オレはもっとこいつのイイ顔を知っているんだ」って心のどこかにあったカメラマンに対するジェラシーも加わっていたのかも知れない。逆に言えば、私のモデルをしてくれている女の子の彼氏の気持ちがよーく分かるカメラマンであるとも自負しているのだ。
しかし、結果的にその子の写真は結局撮ることも無いまま、喧嘩別れとなってしまった。

まっ、そんな背景があったってことで本題であるが、私が神谷氏の写真を見て感じたことは、同級生でなくとも、同世代の女の子を撮った写真には、甘い雰囲気とリアリティーが感じられたのである。それは、撮影技術云々は関係ない所にあるもので、忘れかけていた何かを気付かせてくるものであった。それを客観的に他人の撮った写真を見て改めて気付かされたってことになる。
多分、私の深層心理の中ではすでに気付いていたことかもしれないが、撮影のためにだけ会う女の子との撮影で、どこまで満足するものが撮れるのか・・・ってことだ。今となっては、撮影対象の女の子とは一回り以上離れてることが多く、あの頃のようなトキメキがお互いに感じられる関係なのだろうか? そうなると、せめて友達感覚だけでも築いていたい・・・って思うのである。
と言うことで、まなちゃんに代表される個人撮影の相手は、最低でも「今何してるのかな?」って思えるほど気になり、可愛い存在でいて欲しいのである。
ある人は、『素顔のままで』を見て、なぜこの二人結婚しないんだろう・・・? なんてことを思ったりするようだが、それは私にとってはある意味、最高の評価でもあるわけだ。

今となっては、私にとってまなちゃんの誕生日は夏のイベントとして欠かせないものになっているし、最後の夏休みを利用して、今日からアメリカに行ってしまったのも、なんだか淋しい気分である。広島にいて何ヶ月も会わなかったりするのだが、何ともし難い距離感がそう思わせるのかもしれない。そう、今頃飛行機の中で何してるんだろう・・・ちゃんと国家試験の勉強してるかな? 機内食でも食べてるのかも知れない・・・ なんてね。

だからと言って、別に撮りたい女の子が見つかった場合、いい写真を撮るために仲良くしようなんて思わないわけで、言ってみればその逆で、仲良くなりたいが先であることだけは、誤解なさるな。まぁ、カメラマンと言う立場上、それが一般人よりスムーズに進んでしまうってことは認めるが。

最近、忙しくてこの撮影雑記の連載も滞りがちであるが、今回の神谷氏とのやり取りは、書いてみたくなる出来事であった。


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