いったいこれは・・・


ヤバイヤバイ。気がつけば今年になって初めてとなってしまっている。もうすぐ一月も終わろうとしていると言うのに。私はココで撮影技術と違った部分を多く書いてきた。
しかし、それを何処の誰かに直接向けて書いているつもりはないが、メッセージとして受け止めてくれている人もいると信じて書いてきた。

神戸から大阪に移って、最近は地下鉄の便利さを初めて知ったかのように乗り継ぎをして移動する事が増えた。クルマと結婚していたような私のことを知る人は不思議に感じるかもしれないな。
乗り継ぎのために地下通路を歩いていて目に飛び込んで来るのは、あちこちに貼ってあるポスター類である。

そこで気になったのがシャープ液晶TVのAQUOSの超大版ポスター。そこには大画面の液晶TVと和服の吉永小百合が写っている。サユリストって世代ではないので、吉永小百合にはそれほど興味があるわけでは無いのだが、それを差し引いても決して魅力的には写っていない。
時々目にする映画のプロモなどの吉永小百合はさすがに美しいと思う。しかし、このポスターはいったいなんなのだ。
「TVの宣伝用なのであるから」こんなことどうでもいいのだろうか?いや、そんなことは絶対にない。高いギャラを払ってキャラクターとして起用したからには、それなりの効果を狙ってのこと。そんなことは誰だって理解できることなのだ。

街行く人の大部分はAQUOSの液晶TVとしての存在感でそのポスターを見るわけではない。よっぽど新しい電化製品フリークぐらいが立ち止まって見て行くのだろう。決まりきった日々の家と職場の往復運動をしている疲れきったサラリーマンは足早に歩を進めている。きっと目をつぶっていても迷う事などないのであろう。その中で一部の人が横目でポスターを流し撮りのように目に映しているのかもしれない。

しかしその中でも絶対的多数の人は大きな液晶TVの横に上品に座っている吉永小百合の姿に視線が行っているはずである。映画ではいつも主役を張っている吉永小百合もスポンサーの商品の前では完全なる脇役に徹しなければならない。
しかし、ここまで控え目に写らなければならない必要があるのだろうか・・・?目線を外して遠くを見るような表情なのだが、思わず素人モデルに初めて目線を外したポーズを指示した時のことを思い出してしまった。まさにそんな程度なのである。
目線を外すのであれば、当然その先に何かが存在することを感じたい。もしくは、何か思い描いている心情的な部分が感じたいと思う。
大女優と呼ばれる人であるから、それが出来ないわけもなく・・・

私はぱっと見、目を惹く写真より、じっと立ち止まって表情に見入ってしまうようなポスターが好きなのである。旬が過ぎれば腐ってしまうようなな写真には興味がない。

これを撮ったカメラマンは商品撮影専門なんだろうか・・・女性を真剣に撮った事があるのかな・・・?そんな想いが拭いきれず、私は地下道を歩き続けたのである。
CM撮影の深い部分を知らない私の無知だけが生んだ感情なのであろうか?例えそうだとしても、このポスターを見る人の100%近くが素人だ。
余りにも美しい吉永小百合を見て、スポンサーがこれでは可愛いAQUOSが食われてしまうと感じたのか。それともAQUOSを魅力的に撮れと指令を受けたカメラマンが、相対的に脇役のパワーダウンンでそれを実現したのか。はたまた、自分の役回りを吉永小百合自身が過剰に演じてしまったのであろうか。
そんなことを想いながら私は帰宅ラッシュの時間帯に差し掛かった地下道を歩いていたのである。

やっぱり、女性は美しく魅力的に撮らなければならない。これは天と地がひっくり返っても、私としては考えを変える気はない。
この写真と言う世界がますます分からなくなっている今日この頃なのである。


<−戻る