読書もいいもんだ


最近、本を読むことが多くなった。ここ一ヶ月ほどの間に15冊ほどの長編小説を読んだ。これも習慣的な部分があって、以前はよく読んでいたが10年ぐらい恥ずかしい事に一冊も読んでいなかったのである。だから女性の写真を撮りだしてからは読書とは無縁の生活を送っていたことになる。だが、読み出すと次々と手が出てしまうから不思議なものだ。それは一ヶ月前、最初に読んだ小説がそこそこ面白かったからなのは言うまでもない。

今日は、小説の中でピンと来たフレーズをいくつか挙げてみようと思う。

「やりたいけど、できない。できるけど、やりたくない」

この文章を読んだ瞬間に、「まさに、その通りだよなー」って感じたのである。これはゲーテの言葉らしいが、私自身その積み重ねばかりでここまで来たように思うのである。写真だってそうだ。その葛藤と戦ってきた写真が『素顔のままで』をはじめとする私の作風なのかも知れない。

「男性から見て女性は絵画鑑賞。女性から見て男性は音楽鑑賞」

この意味、解るかな?単純に考えても頷けるかもしれないが、この言葉の裏には、美術館のように複数の絵を同時に楽しむ事もできるが、音楽は一度にひとつしか相手にできない。なかなか面白い例えではないか。
最近は、これも入り乱れてしまっているみたいだが、私がマンツーマン撮影を好むのは、ここで何度も書いてきたが、モデルが二人いるだけでも本来の私流の撮影が出来ないということである。だから、私にとってモデルは音楽なのである。

「恋愛も商売も同じ原理。与える愛もあれば奪う愛もあるけれど、愛情についてお互いに収支のバランスがとれていなければ永続きはしない。商売の世界では愛情の代わりに利益。パートナーとの間で収支のバランスが崩れたらいい関係は長続きしない」

ちょっと生々しい表現であるが、私は都合よく利用されるのが嫌いであるのに、この手のアプローチがどれだけ多いことか。特に女性に関してはお人好しに見られるのかも知れないが、この部分が感じられた時の私の態度の変化に驚いた人も少なくないはずである。実際、私との撮影やその写真を利用され、それが撮影料ナシであったとしても、気持ちが伝わればその相手は可愛いく映るのである。

「男の人って、たいてい目はいいけど耳はわるいわね」 「美人かどうかはすぐに見るけど、彼女の話まではあんまりよく聞こえないみたいね」

これも面白い。
確かに、モデルは美しい女性ということになっている。だが、そこだけしか写していない写真が多いことも確かである。もっと、何か聞こえてくるようなもの撮れるんだけどね。

「美人というのは、電車で前にすわって見るのが一番いいって説がある。まずお金がかからない。わがままを言わない。好きなだけ見ていられるし、飽きたら降りればいい」

まぁ、一般の男が下手に手を出したら後悔することもあるってことだろうね。でも、モデルとしてきっと魅力的だなーって見て、こんなシチュエーションでとってみたいなーって想いをめぐらせ、それが形になれば、モデルとして声を掛けることはできるのではないかな。よこしまな事を考えるからいけないんだ。

「きれいなものを見て、生きていきたいわ」
「毎日、鏡を見て暮らせば・・・」
「馬鹿らしい」


ここで、最後の答えとして、「ありがとう」と答える女性もいるだろう。私はいつもこう答えて欲しい派である。思ってもいないことは言わない主義だから。だから、誉めるのが仕事みたいなカメラマンの言うことなんか・・・なんて思わないで欲しいんだよなー。

「夢は嘘つきだ。根も葉もないことを映したりはしないけど、頭のすみに潜んでいるひとかけらの異分子をことさらに取り出して大げさに主張する」

撮影のシチュエーションを感じる時って、まさにこんな感じではなかろうか。まぁ、決して大げさなのは好みじゃないが、天気や季節、その場の雰囲気のちょっとした部分から夢を見るのは楽しい。

他にも沢山あるのだが、また次の機会にしよう。
読書には、斜め読みとか速読術とか言うものがあるらしい。実際に一頁を5秒ほどで読んでしまう人を知っている。その人は2、3日おきに図書館でどっさり本を借りてきていた。しかし、ひとつひとつの文章をじっくり読むのもいいもんだ。写真専門の技術書なんかより感じる写真を撮るためのヒントがいっぱい見つかるような気がしたのは私だけだろうか。


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