残酷な話


たまたま昼間TVをつけていたら、浅井愼平カメラマンがトーク番組に出ていた。何気にいい話が聞けるんじゃないかって、やりかけていた事を脇において見たわけだ。
デビューがビートルズの写真集だってことも驚きだが、こんな話をしておった。
チャック・ベリーを撮影することになった時のエピーソード。気難し屋のチャックだから、余計な言動でご機嫌を損ねないように肝に銘じて臨んだとのこと。その日必要な写真はポスターやレコードジャケットなどに使用する8カット。そこで3ロールでも撮れれば何とかなる予定であったが、チャック曰く「お前はクレイジーか?8枚要るのなら8枚撮れば済むだろう」という事であった。いくらなんでもそれは辛いわけで、そこで「何枚ならいいのか?」と聞いたところ、15枚だという返事。よし判ったと撮影をはじめることになったが、まぁ1ロールぐらいは撮らせてくれるだろうと安易に考えていたら、一枚目のシャッターを切った直後に「ONE!」、2枚目に「TWO!」と大真面目にカウントしだしたというのだ。その上、ワンポーズ、ワンカットしか認めないという横暴振り。「おぅ、上等だ!」と浅井氏もきっちり15枚で仕事を終えたという。
そして、昔は一枚の写真を撮るのに時間もかかり、今のように何カットも一気に撮れなかったのだから、一枚一枚を大事に撮りたいと付け加えていた。
そう、そうなのだ。人間やってやれない事はない。安易に楽で安全な道を選んでしまいがちである。石橋を何度もトントンと叩くようにシャッターを切って、その中にいいカットが混ざっていればラッキーなどと考えて撮っていても、それはたまたま撮れたに近い場合もある。増してや、デジカメはランニングコストが安いなどとほざいているヤツらに聞かせてやりたい話であった。
また、このチャック・ベリーだが、単純に我儘な外タレと片付けていいものだろうか。同じプロフェッショナルとして、一発勝負のライブの世界で生きているのだから、説得力は有り余るほどだ。そう考えてみると、ライブの前は緊張の極限に達するという徳永の言葉が思い出されるが、彼らの価値観から言わせると何カットもシャッターを切れる写真撮影は卑怯なのかもしれない。だから切り現なんかすることもあるなんてとっても言えないわな。
あっ、ここは写真を本格的にやってない女性も読んでくれているので、写真用語を使うのは良くないな。“切り現”というのは、撮影中に撮り終えたフィルムを大急ぎでプロラボに持ち込み、フィルムの頭から少しだけテスト的に現像し、おもに露出のチェックをしてその後の撮影で露出調整をしたり、本現像段階でも感度調整の目安に出来るってことである。事前にポラを撮ることでその代わりをすることが多いが、結局は絶対に失敗できないし、イメージ通りに仕上げたいから行われるわけである。その点、デジカメの場合は速攻でモニター出来るわけだから、この上なく撮り手にとっては便利なわけだ。もちろん、撮り手だけでなく、モデルやクライアントにとっても有り難いことだろう。最近は、オーディションでもカメラテストでデジカメが使われることが多いようである。

さて、いつもの撮影雑記調に戻そうか。TVの解説ばかりじゃ能がなさすぎる。
私はモデルを選ぶ方だと思う。もちろん、逆の立場になることだってあり得るが。
モデルをオブジェ的に扱うのは嫌いだと何度も書いてきたが、いいロケーションで上手い具合にシチュエーションが決まり、モデルがいい顔をしてくれれば、撮影はほとんど成功したようなもんだ。
「モデルを好きになれ」とはよく言われることだが、人間的に好きになることが第一歩である。それは極端な話、相手が男であっても当てはまることだ。それをベースにさらにプラスαがもたらされる力としてトキメキってやつがある。これだけは、好きになろうと努力するのとは違った所に位置する、ある種本能的な部分が関係しているとも言える。人間的に好きになって、その結果、ルックスや仕草に心が揺れることもあるだろうが、一目惚れと合い通じるトキメキ感には何かしら大きな力をもたらしてくれそうな気がしている。そのトキメキ感的なものを撮影テクニックや、日進月歩のハイテクで克服出来たら大したもんだろうが、これでは実につまらないものになりそうだ。

私は自分にこう言い聞かせる事が多い。撮る相手は元々憎からず思っているのだが、ファインダーで盗み見たモデルに対して、物想いにふけっているように見えても、女はそこに一緒にいる男のことなど考えたりはしないのだ。
幸い、イメージを浮かべるきっかけになる存在になり得たとしても、きっとどこかの誰かにこっそり置き換えられているんだと思うようにしている。
「女ってのは、一方的に惚れ込んでいる男にとっては、ひどく残酷なものなのだ」ここまで思えれば立派なものなのかもしれない。


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