情熱の中の冷静
どこかで聞いたことがある表題だと思った人はいい勘してる。またビデオを借りてきた。洋画と邦画を一本ずつ。おもに邦画は原作を読んでから映画を観るといういつのも私のルールとは違って、この作品は映画を観るだけの予定である。
これは「冷静と情熱のあいだ」というやつだが、2年ほど前によくTVでも宣伝をしていたのでご存知の方も多いはずだ。これはまずタイトルが実によく、思わず観たくなってしまったのを覚えている。ずっと気になっていたが、小説は読む気がしなかったのである。それは辻仁成が嫌いだからだ。別に中山美穂と結婚したからって、くだらない嫉妬を感じているわけではなく、彼の言動がどうも肌に合わないからである。
それで、原作をそのまま読むことが躊躇されたが、映画であればワンクッション置いたような気がして辻仁成の影がちらつくことが少なそうだからだ。
それはそうと、既婚者となってから中山美穂のいい女度が低下したと感じるのは私だけだろうか?最近のビールのCMなんか美しくも何ともない。以前の23区のシリーズCMは非常によかったのに残念で仕方がない。特に23区の店頭にディスプレイされていたスチール写真に何度も足を止めたものだ。まさか、23区が服屋さんだって知らない人はいないだろうな。中山美穂に限らず、結婚後さらに輝きを増してくれることを切に願う私なのである。
話を映画に戻すが、「冷静と情熱のあいだ」というタイトルはよく出来ていると思うのである。この撮影雑記の読者ならそれはうなずけるのではないだろうか。男女の間は、まさにこの通りではないか。
そして、映画の内容であるが、ここで結末を書いてしまうほど私も野暮じゃないが、「時の悪戯」がキーワードであり、なかなかいいラストへと導いてくれる。
さて、撮影だって私はこの「冷静と情熱のあいだ」を行き来しながら撮っていると言える。
そのどちらに偏ってもいけないのかも知れないが、こればっかりはセルフコントロールが非常に難しい。
冷静にならなければ・・・と思うってことは、裏返せばのめり込みすぎていることを自分で感じているからであって、それを抑制しようとすればするほど意識してしまうことになる。しかし、その逆よりよっぽどマシで、もっと相手の存在を感じなければ・・・と危機感を持ってしまうほど冷めてしまったら、もうその気分を覆すことはほとんど不可能に近い。
私個人としては限りなく情熱寄りの冷静さをキープしたいと思っているが、カメラ操作は訓練で身体が覚えていくものだし、構図の決定については一瞬のヒラメキを大事にする方なので、モデルに入れ込む余り撮影がとっちらかってしまった経験は少ないが、無くもないのだ。
フィルムを入れ忘れてしまった経験が過去に二度もあるのだから、偉そうなことは言えない。5カットぐらいで気付いた広島空港の滑走路の横での撮影もあれば、40カットほどシャッターを切って、フィルムが終わらなくて気が付いた事もあったのだ。あれは確か念願だったペンションに泊り込んで撮影した時であった。
いい感じで撮影が進み、フィルムチェンジと共にレンズ交換をしようとして、レンズとCCフィルターを変えただけで撮り出してしまったという大失態であった。果たしてまなちゃんは気付いていただろうか、気付かなかった振りをしてくれていたのかも知れない。
しかし、そんな撮影が出来ることは、カメラマンとして最高の幸せであると思うのである。あの時の40カットは決して取り戻せないが、仕事での撮影でなければこれぐらい自分を見失ってもよいではないか。不甲斐ないと言えばそれまでだが、こんな自分も可愛いと思ってしまうのである。
更に言えば、そんな撮影を経験できていないとすれば実に淋しいことで、仕事になれば、いくらモデルが良くても冷静さを常に崩さないようにしなければいけないだけに、それから開放された時は思いっきりモデルとの空気感を満喫したいものだ。