カタチの無いものを盗む


もうすぐ忌まわしい誕生日である。そして、その誕生日が同じタレントとして代表的なのが二人いて、一人が泉谷しげる。そしてもう一人がダウンタウンの浜ちゃん!どないなっとんねん。この二人は似たキャラのように感じるが、私もあんな面があったりするのだろうか・・・

日本では精神分析医が少ないと聞く。悩みを抱えた患者を癒してあげる人ってことだな。その患者の中からストレス社会で生きている多くの男性を差し引けば、確かにかなり患者が減りそうだ。
という事で、こんな話を聞いた。銀座や新地のホステスたちが、客の愚痴を聞いたり、エッチ心を発散させたり、威張らせてあげたりと、色々と貢献してくれているのだそうだ。それで心のバランスが多少なりとも保てている人がいたとしてもおかしくない。
外国には、こういったところがないらしい。“らしい”というのは、外国のことは詳しくないし、私は国内であってもそういう店に行ったことがないのだから、すべては想像の域を出ない。しかし、なるほどと思ったわけだ。
そして、もうひとつこんな作用もあるらしい。そんなお店に通う男性の奥様たちにとっては、ホステスってのは敵だと思っているだろうが、厄介な接待などを引き受けてくれているとも言える。アメリカあたりじゃ奥さんがやらなきゃいけないわけだから、商社マン夫婦が海外に赴任して奥さんがノイローゼになったなんて話もありそうだ。
らしくない話題から始まったが、こんな社交場的な役目を果たしている撮影会が最近増えているそうで、ある方面からお誘いがあった。もちろん参加者ではなく主催者側で。
確かにモデルと仲良くすることについて異論はないが、わけの分からん連中のお相手だけはごめんである。

最近、真似してみたいなーって思う写真にお目にかからない。盗んでみたいと思えるようなのに出会いたいものだ。でも、無意識のうちに脳裏に焼き付いていて、撮影の時にそのシチュエーションから何処からともなくピピっとひらめくなんてことも過去にはあったが、最近はそういうことも無くなった。
刑法245条には、「電気はこれを財物とみなす」とわざわざ定められている。これは、100年ほど前に電気が初めて一般に引かれるようになった頃、無断で電気を盗む者が現れたことが事の発端であるらしい。もう少し突っ込んで書くと、窃盗罪ってのは他人の物を盗んだことを指すのだが、電気は目にも見えなければカタチも重さも臭いもないわけで、物でないものを盗んで何が悪いと混乱を招いたことで、設けられた法律だそうだ。
音楽であれば、他人のメロディーを盗めば盗作となるが、写真に関しては、音楽のように音符が存在するわけじゃないので、はっきり盗んだといえるモノサシがないわけだ。
風景写真なんかで有名な富士山や日光の小田代ヶ原などで、同じ撮影スポットから同じような焦点距離のレンズで同じように狙った写真を撮っても、人の写真を盗むなとは言われない。

あるプロから聞いた話であるが、煮詰まった時にJoe's Galleryを見てパクっているなんて話しているカメラマンがいるらしい。ウソがホントか定かじゃないし気の利いた社交辞令かもしれないが、盗まれたと腹が立つどころかこれ以上の誉め言葉はないと思った記憶がある。
しかし、ポートレートってのはアイディアが先かモデルが先か。アイディアがあってモデルをあてはめるのではなくて、まずモデルありきなのだと思っている私なのである。
だから、なかなか人の写真を盗もうと思っても、うまくイメージが重ならない場合が殆んどで、単にいい写真だと感じるに止まるわけだ。
あー、どこかに刺激的ー!って思わせてくれる写真ないかな。


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