カメラマン心理とモデル心理


最近、新作の公開が出来ず、期待や応援を多く頂きありがたく感じている。申し訳ないと思っているのだが、『素顔のままで』の新しいテーマというかイメージというか・・・今おぼろげながら見えかけている。これが次回作になるのかその次まで持ち越すかは定かじゃないが、色んな女性を見るたびに写真としてのイメージを浮かべてそれを膨らませているが、まなちゃんとの撮影の発想はいつ、どこでなど関係なく、ふっと湯気のように立ち昇り、それがイメージと重なり合うのだ。しかし、それを現実に写真としてカタチにする過程までたどり着かないケースも多い。それは撮影技術的な部分もあるし、そのイメージをまなちゃんにどう感じ取ってもらうかにまで及ぶ。しかし、そのまま大気中の塵となって消えてしまう事は無く、私の頭の中をさ迷い続けているから、いつかまた新しい分子と結合して別の姿に生まれ変わる事もある。そしてその核分裂が今はじまりかけているような気がしているのである。
ただ、こと細かくまなちゃんに関しては演出をつける気はいつものようにまったくないから、それがどう転ぶかもラグビーボールを地面に叩きつけたようなものである。しかし、予想もつかない結果になる心配はまったくしていない。それどころか、私のイメージをさらに大きく広げてくれる期待が膨らむだけだ。そう、それほど私達の相性はいいのである。

誰にだって、愛するものなら、または、自分の大切なパートナーなら、一人でも多くの人に紹介したい、その魅力を見てもらいたいと思うノロケ心はあるはずだ。
Joe's Galleryの中で『素顔のままで』のシリーズが始まった時から、この意識は確かにあった。これは、普通カメラマンが写真を発表する時に抱く感情とは根本的に違っているのだ。本来ならば写真家としての力を誇示するのが当然であり、そのためにモデルを美しくキレイに、あるいは可愛く撮ってみせるのだ。しかし、それでこそカメラマンであって当然のことだろう。
私が変わり者なだけなのだが、それが写真の見せ方にも現れているのだと思っている。ノロケるって言ってもモデル本人を連れて紹介して回るわけにもいかないわけだ。そうなると、その日の撮影の流れを見せたくなってしまう。だから、たまたま撮れた出会い頭のような一枚をベストショットとしてピックアップしているんじゃないんだ。これだけ美味しいシャッターチャンスをこんなに与えてくれるんだって気分なのだ。それぐらいの思い入れがもてる相手でなければ個人撮影まで発展させることが出来ない私なのである。

思えばまなちゃんとは永い付き合いになるが、そのきっかけは他のモデルには無い魅力を感じたからに他ならない。私が知りえるモデル心理として・・・当の私自身が過去にそうであったが、恥ずかしいってのが基本的にあるわけだ。私なんか、笑ってくれと言われて笑う事の恥ずかしさ、自由に動けと言われた時の金縛り状態。今思い出しただけでも赤面してしまいそうである。それは単なる訓練不足だっただけなのであるが、カメラマンの怠慢とも思う。言われたことをそのままするのが苦手で天邪鬼な私はそれに耐え切れず撮る側に回ってしまった。しかし、それを逃げ場を求めたと思われるのは、負けず嫌いな私としてはどうしても受け入れ難いことだから、カメラマンとして頑張らねばならぬ。そして過去のトラウマからなのか笑ってと言わない主義は今でも変わらない。

まぁ、そんな私事は置いといて、商品としての笑顔やポージングをきっちりと習得してくると恥ずかしさは薄れてくるが、私が感じるまなちゃんの場合はちょっと違う。
出会った頃のまなちゃんを思い出してみると、カメラマンの要求を素直に受け止めるとどうしてもテレが出るので、自分のイメージなりパターンを作りあげてしまって、その流れを貫き通す手法を身に付けていたように感じるのである。それが余りにも見事なので、ついそのペースにはめられてしまったものだ。
そんなまなちゃんと二人だけで撮ることになって、最初の撮影で戸惑い恥らうまなちゃんの姿を私は初めて目にすることとなった。
それは、私の求めていたまなちゃんとの『素顔のままで』の持つ意味をすぐさま察知してくれていたからだと思うのだ。少なくとも単にJoeと言うカメラマンが相手なだけで、今までと同じ撮影だとは感じていなかったのではないだろうか。
元来、度胸の座ったところのあるまなちゃんであるから、すぐに私との呼吸にも慣れてくれたが、当初はこんなモデルっぷりでいいのかなぁ?Joeさんは満足してるのかなぁ?って想いがあったように感じたし、過去にやってきた撮影とは違った自分を表現したいけど、ちょっとテレるかも・・・などとモデルとしての心の揺れがあったように思えた。しかし、いつの間にか堂々といろんな試みを自信を持ってしてくれるようになっていた。
とは言っても、「旅の恥はかき捨て」じゃないが、知らない土地ではハメを外せるように、よく知らないカメラマン相手では出来ることが、私が相手であると、身近な存在になり過ぎて違った意味の照れ臭さもあるかも知れない。しかし、この部分をピシッと割り切れる面でも、私のまなちゃんへの評価はかなり高いのだ。
私どころか、実の母親が着付けをしてくれた浴衣撮影では、実家の庭先でそのお母さんが持ってくれたレフを前にしても、立派にモデルが出来てしまうぐらい大したやつなのだ。
「Joeさんったら、私のこと何にも分かってないんだから」なんて笑ってるかな?


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