この瞬間のために
気温30℃の声をちらほら聞くようになったと思ったら、梅雨入り間近だそうだ。これから暑い季節が続くが、私はクーラー効いたスタジオに逃げ込んだりはしない。あんな季節感のない空間で、ヒトの標本みたいな写真を撮るのは好きではない。まなちゃんとの撮影をはじめたのが夏で、私は夏は好きだが暑さに強いわけじゃない。
いつも、頭から水をかぶったように汗びっしょりになって、ことあるごとに自動販売機の前で急停車して清涼飲料水を買っている私を見てまなちゃんは笑う。
モデルは汗をかけないので大変だが、居心地のいいスタジオより、暑さの中でのビーチや、小川のせせらぎに足を浸した時の心地よさとは比べる以前の問題だ。
夏だけに限らず季節を肌で感じることの重要性は、ガリ勉じゃなかった私は夏休みを思いっきり外で遊んで、それを一番良く知っている。また、川遊びで育ったまなちゃんも同じだと信じて、思わず連れ回してしまうのだ。
それと、どうも世間一般には、スタジオ撮影の方が難しくて高度な撮影であるように思われているようだが、勘違いもはなはだしいことだ。なぜ、スタジオを利用する撮影が存在するか?その答えは「楽だから」それだけなのである。まぁ、ブツ撮りやそれに限りなく近いポートレートを撮る場合は、話はまた別ね。
屋外ロケでしっかり撮れる人はスタジオへの移行は楽である。楽なように一定で規格通りに照射してくれる照明などの機材が開発されたのである。世の中、便利な方へ進んで行くのだから、少し考えれば誰でも分かることだ。
海で撮影しようと思った時に、太平洋側と日本海側のどちらに面した浜辺を使おうかなんて考えたことがある人って何パーセントいるだろう。私のこういう問いかけに「はぁ?」って感じた人だって多いはずだ。
太陽の位置と、海と青空の広がる方向を考え、モデルの顔を照らし出す光の向きを瞬時にイメージ出来ないような人には意味の無い質問だったかもしれない。
もう少しヒントを出すと、海と空をとことん青く撮りたいのか、モデルの肌の質感を大事にしたいのか。欲張りな人はそこで四方を海で囲まれた小さな島で撮影を選ぶ事になるのだ。
天気のいい日、曇りの日、雨もあれば風だって吹く。時間とともに刻一刻と光の色と角度を変化させる地球でたった一つの照明。
時々私はこんなことを考える。この同じ太陽のこの下で何人のカメラマンとモデルが撮影しているのだろう・・・と。場所も違えば相手も違う。プロもいればアマチュアもいて、家族ももちろんいるし、恋人同士だって。
そのカップルたちにとって、その光がみずみずしい透明に感じるケースもあれば、オレンジに暮れたように感じることもあるだろう。
そんな太陽の光が一番力強くなる、これからの季節にスタジオに逃げ込みたい人は、とっとと去ってくれたまえ。私はお気に入りのモデルと自然の恵みを存分に浴びる事にするから。
そして、そんな撮影は夕暮れがとてもいい。一緒に過ごした暑い一日が終わり、軽く微熱をはらんだような空気の中で、モデルのまわりだけ明るく浮き出ているような不思議な感覚。そんな撮影を知らずして何をか言わんやである。
「ずっといつも会っていたのに、今日は久しぶりにキミに会った気がする」こんな気分に出会える瞬間ってある。いつもふざけあったり喧嘩したりしていても、そういう時の巡り会わせってものがあるような気がする。それはカメラマンとモデルのたとえ話としてだけ言っているのではない。恋人同士にこそ大事にしたいその瞬間ではないだろうか。これはお互いに気付こうとするかしないかにかかっていて、なによりも自分の中の男を説得する力になるはずだ。
「愛していては欲しいけど、縛られるのはごめんだ。女は惚れていろ、自分は自由にやるから」これがどこまでいっても男のホンネと理想なのかもしれない。
しかし、私も含めた世の男性たちよ。男と女しかいないんだから、もっとなんとかしたいもんだよな。