もっと郊外へ
やっぱり、自然の中だとテンションが上がってしまうのだ。まなちゃんとの撮影は9割が人混みを避けての撮影であった。それどころか、奥へ奥へと踏み込んで行った撮影で、実に気持ちよく撮れたし、楽しい思いをたくさんしたものだ。
郊外へ出向いたとしても、観光名所を目指した記憶はあまりない。行ったとしても、あえてシーズンオフに狙いを定めて計画を立てるようにしている。
須磨海岸などは、夏休み中はとんでもない状態だが、盆を過ぎたあたりから空きはじめ、9月の声を聞こうものなら、一気に閑古鳥が鳴く。
日本人特有だと感じているが、早めに動いて早めに去るのがカッコいいと思っているようで、9月の海は最高のロケ地となるのだ。30℃を超えていることが多いし、水温もまだまだ高いので、水着での撮影もゼンゼン大丈夫だ。しかし、光はしっかり秋の気配を感じるものとなって、いい具合に傾いた光が利用できる時間が長くなる。
これからの真夏に向けての撮影だが、これはモデルとカメラマンの体力の消耗をいかに防ぐかを考えるのが一番のポイントとなる。
私はそんな時、気がつくと川辺に来ていることがなぜが多い。特に意識しているわけではないのだが、いつの間にか木陰と水辺に引き寄せられているのである。
暑い真夏の撮影に、清流の冷たさは汗を引かせる最大のシチュエーションであり、水しぶきが身体や顔にかかっても、みずみずしさと涼しげなシーンとなって映る。
写真は製作サイドの負担が軽いことよりも、その写真を観る側が少しでも疲れるようなのはいけない。モデルの表情やポーズ、そして撮影の技術も大事だが、観て気持ちよくなくては押し付けになる。
夏に汗をかいた写真でも、それがスポーツで滴る汗や、ビーチで汗ばみ太陽の光でギラつく肌なら爽やかに感じるが、人混みの遊園地やアメ村で額に汗していたら、暑さが伝わってくるようでまったく気持ちよくない。
今日の趣旨から外れるが、モデルがぎっくり腰になりそうなポーズを強要した写真なんかも、私にとっては不愉快に感じるだけ。
こんな、暑い時期はクーラーの効いた室内で撮るのが、そりゃ楽に決まってる。寒い冬も同じことだが、やはり外へ出かけたくなってしまう私である。
私は撮っていると寒さはそれほど感じたことが無いのだが、それをいいことに鈍感になってはいないか、常に考えることを忘れない。モデルは寒い時期だってそんなに厚着が出来るわけじゃない。もこもこと重ね着をしたモデルに一度も出会ったことはないが、寒いに決まってる。
まなちゃんとの撮影でも、寒さで首筋に鳥肌がたっていたことや、鼻が赤くなっていたことが無かったとは言えない。そんなのを見てしまうと申し訳なくて撮影どころじゃなくなってしまう。忘れもしない、あれは朝から雪が降った日の京都は嵐山での撮影だった。振袖姿での撮影を望まれてのことだったが、早く撮影を切り上げて、あったかいぜんざいを食べさせてあげることばかり考えていたことを思い出す。
しかし、人工的なライトとわざとらしいバックのスタジオじゃなかったことで、いい撮影が出来たと思っている。もちろん、まなちゃんも気に入ってくれた撮影だった。
郊外に出掛けて行って困るのは、トイレと着替えである。モデルはもちろんカメラマンの男でも、モデルの前で立ち小便は論外であるから、連れ回せばいいってことではないし、お腹だって空かせてはダメなのだから、その辺を常に頭の中に入れて行動することが大事である。まなちゃんとの撮影ではだいたい着替えが入ったが、まなちゃんはクルマの中でさっさと着替えをしてくれて、私が慌てて降りたことも何度かあったが、こんな関係がどのモデルとも成り立つわけではなく、しっかりとリサーチやフォローが大切なのは言うまでもない。