マイナスイオンを求めて


最近、ストレス溜まりまくりの私であるが、久々にマイナスイオンを浴びに行ってきた。今のクルマにナビを取り付けて、それの試運転も兼ねてのことである。15年ほど前からナビを愛用していた私であるが、今回4台目のナビとなる。3台目までが古いCDナビだったこともあり、かなり動きも早くなり快適かつ便利になった。また、炎天下の中、こういうモノをクルマに取り付ける作業はバカ暑いが楽しいものである。
ナビに頼った運転を続けていると道を覚えないとよく言われるが、それは当たっているように思える。しかし、大阪に移った当初はナビのお陰でかなり助けられたし、たまに東京に行った時は、首都高のどこをどう進んだら目的地に着くのかもあやふやな私にとって、かなり有難いシロモノであった。
以前、広島に頻繁にロケに行っていた私だが、ロング・ドライブではあと何キロでどれぐらいの時間で着くかがひと目で分かるのは、気分的に楽であるし、ハイペースで走って、到着予想時刻をどんどん更新させるのが快感だった。

話は戻ってマイナスイオンだが、前編でも書いたようにやっぱり田舎はいいのである。緑が多い場所に行く場合、私はアンバー系か偏光レンズのサングラスを数多いオークリーの中からチョイスする。そうすることで、ことさら緑が瑞々しく見えて気持ちいい。それに加えて透明度の高い川が流れていたりしたらさらによくて、滝なんかあったりすれば文句なしなのである。さらに、今日は赤とんぼが飛び交い、ヒグラシのカナカナカナ・・・という少し物悲しい鳴き声が風情を増してくれていた。
こういうものは写真に写らないが、いい撮影の雰囲気を感じ取ってくれるモデルと一緒だと有難い。しかし、私がせっかくいい気持ちになっているのに、モデルが何も感じてくれてないこともあり、まなちゃんみたいなモデルと来たかったと思うこともしばしばだ。

今は、夏休みの真っ只中なのに、最近はこんな場所に子供の姿を見かけることがめっきり減った。私は子供の頃と現代っ子の感覚がズレているのだろうが、私としては大歓迎なのである。目障りなのが居ないのはいいことなのだ。

緑があって木陰に入り、くつろいでいても、木漏れ日とかを見つけると、そこに誰かを立たせてみたくなるのである。森林浴を楽しみに来ているのに、どうしてもそんな場所を探してしまう。
スコーンと向こうに抜けのイイ場所を見つけてしまったらもういけない。フレーミングに思いを馳せてしまうのだ。いや、見つけてしまったではなくて、無意識に探してしまうのだが、そういう時には傍らに女性がいたりするので、そこに立ってもらって、どこの光をレフに利用しようか・・・なんてことまで考えだす。
そして、過去に同じようなシチュエーションで撮影したシーンがオーバーラップして、ことさらイメージが膨らむのである。でも、それもほどほどにしないと、カメラも持ってない状態でそんなことばかりしていたら、同行者に睨まれることになる。
でも、たまには気立てのいい女性もいて、そんな私の見つけた風景に感心してくれると、つい調子に乗りかけてしまう。

でも、こういう行為は写真に興味を持ってしまったら、誰もが同じような感覚を持ってしまうことだろう。風景を撮っている人は、人一倍四季に敏感になり、空の色や雲の形や植物の色彩の変化が、今までになく勝手に視界に飛び込んでくるようになる。
ポートレートを撮っていると、街で女性を見かけても、見るポイントの傾向が変わるのだが、それは私だけだろうか。


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