いじれることの楽しみ
それにしても、今年の夏は厳しいものがあるな。私にとってクルマが暑さに悲鳴を上げることはかなりのピンチなわけだから、今のクルマが珍しくエンジンがノーマルに近い状態で、熱対策に困ることが無いのが気分的に楽である。ただ、言い換えれば退屈でもあって、さっきマフラーを交換してしまった。あぁ・・・単なるツナギのつもりで、タダ同然で引っ張ってきたクルマなのに、こんなことをしていたら、お気に入りのクルマが買える日が遠のいてしまうではないか。
今回は、元来の『撮影雑記』との内容とは離れてしまいそうなので覚悟して欲しい。
思い起こせば2001年の夏なんかは、ひと夏でかなりまとまってトラブルが出てヒヤヒヤしたものだ。ラジエーターにヒビが入って圧縮が抜けてしまい、少し走っただけで沸騰してしまう状態であった。そんな状態で広島にロケに行ったこともあったが、今思えば無謀なことをしたものだ。冷却水のリザーバー・タンクがグツグツと煮立っていて、熱湯を吹き出しながらの走行だったのだ。もちろんペットボトル3本は必需品だが、今日のオマケ画像の撮影の時も、傍らではボコボコと地獄谷のような音をさせたクルマがあった。
その後、まもなくそのラジエーターはまっ二つに割れて、松屋町筋で水蒸気を吹き上げたのだ。しかし、この程度ではびくともしない私はまだ涼しい早朝だったこともあり、コンビニで水と氷を買って冷やしながら自走して帰った。
続いては、夜中にオルタネーター(発電機)が突然死し、ナビやオーディオはもちろんのこと、スモールライトだけ点けて消費電力の多いエアコン、ウインカーやブレーキランプも使わずにサイドブレーキだけで減速しながら帰ったものだ。
極めつけは夜の六甲山頂付近で、油圧計のホースが熱で劣化し、そこから吹き出したオイルが高熱で真っ赤に焼けたタービンにかかってエンジンルームが火の海になったが、それでもひるまなかった私であるから、少々のトラブルではビビらないのでる。まぁ、目が点になっていたのは対向車で、急ブレーキを踏んでいたことで事の重大さに気づいたくらいだ。
その時は、真っ暗であったたのと、エンジンに負荷がかかって油圧が上がった時だけしか症状が出ないため、その場では原因が分からず、六甲山をエンジンを切った状態で下ったのである。もちろんパワステは効かないし、ブレーキのパワーサポートも無い状態でサイドターンをしながらふもとまで降りてきた。
他では、タイヤがバーストしたことは数え切れないぐらいあって、後輪から外れたタイヤが横を転がっているのを見ながら高速を走ったこともあれば、早朝の新御堂でバラバラに裂けたことや、六甲のタイトコーナーでタイヤがちぎれたこともあった。
厄介だったのが、クロスメンバーが折れた時で、ちょうどステアリング・ギアボックスの根元が折れてしまって、ハンドルを真っ直ぐに握っていても、右へ左へとフラフラと勝手に動いてしまって手を焼いたものだ。パーツがメーカ欠品だったため、2000kmほどそのまま走っていたのだから我ながらよくやるものである。その間、確か一度広島に行ったと思うが、まなちゃんにはナイショだったのは言うまでもない。
スカイラインに乗っていた頃には、高速で押しがけしたこともあったが、マニュアル車はそれが出来るから安心な部分がある。今のクルマも結構電装品が付いてはいるが、押しがけが出来るのはいいことなのだ。
他は、ボルボのセダンに乗っていた時期があったが、スカイラインのRS−TURBOが富士のストレートでワークスのボルボにあっさりとブチ抜かれる映像を見て、衝動買い的にRS−TURBOから乗り換えたのだ。その時は、近所のスタンドのあんちゃんが以前から譲って欲しいと言っていたので、たくさん結納を頂いて嫁がせたのだが、後にゼロヨンで活躍していると噂が聞こえてきた。
一方、そのボルボの最速セダンは当時フライング・ブリック(空飛ぶレンガ)と呼ばれていたが、もちろん私もホイルを特注し、ギリギリまで車高を落としていたのは言うまでもない。
そんなクルマで日本海に行った時だったが、渋滞につかまり、オーバーヒートで交差点の真ん中で動かなくなってしまったことがあった。その時は、日陰に押して行き、エンジンを冷やした後、ヒーターを全開にして熱を逃がしながら真夏に走ったものだ。そんなボルボも、ぶん回し過ぎがたたって、エンジンに亀裂が入って、オイルと水が混じってしまった。
そういえばこのボルボ、オルタネータとエアコンのコンプレッサーが壊れたが、得意の自力修理をやったものだ。
その次のベンツもあちこちと修理しながら5年ほど乗っただろうか。左足でブレーキングしながら六甲で86やシビックなんかを追い回すのが楽しみだった。
その頃、神戸の震災がやってきて、私は三ノ宮にいたのだが、駐車していた場所の隣のアパートが半壊し、車の右側面がぐちゃぐちゃになってしまったが、ちょうどその時は何かの都合で代車のボロ車だったので助かった。おまけに、その代車の貸主は修理代はいらないと言ってくれた。
こんなことを思い出しているときりが無いほどだが、最初に買ったRX−7から、私にとってのクルマは最高の友でありおもちゃなのだが、そこらへんの新車を買って磨くのと飾り立てるだけが楽しみで、オートバックスのにーちゃんにお任せのカーライフなんか何の興味も無い。小学生時代の愛読書が『ドライバー』だったぐらいだから、結局はメカ好きでカメラも好きであり、手作りでいろんな撮影用の小道具を作ってしまった。シフトレンズもバラシて、ポートレートスペシャルに改造した私だが、なんかだんだんそんな楽しみが奪われていくようで淋しいものだ。
銀塩の時代は、フィルムとフィルター、色温度を変化させたライティングのさまざまな組合せで、色々と楽しんだものだが、何でもデジタルでやれるのって、便利なようで楽しめないものだ。