進歩しすぎることの弊害


去年の秋に続々と登場したデジタル一眼の大きな変化のひとつにライブビュー撮影があるだろう。我がD300にも、一応ライブビュー機能は備わっているが、まだまだ進んで使いたいとは思えない程度の操作性である。今年になって発売になった普及機の方が進歩しているようで、これから各社がなり力を入れて行くことになるだろう。この機能を極めれば、コンデジやカメラ付き携帯のユーザーを一気に惹きつけることとなるのだから。モニターを見て写すスタイルに馴れきったライトユーザーは、ファインダーを覗いて撮ることがうっとうしいようだから。

D300の高性能な3インチのモニターは気に入っているが、これを維持しながらオリンパスのE−3のようにモニターが動かせ、ライブビューでレスポンスよくシャッターが切れれば、ポートレートの分野でもかなり使えるシーンは多いだろう。
しかし、風景とか報道、またはブツ撮りではいい写真が撮れるかもしれないが、ポートレートとなると、アングルの自由度が広がったりカメラマンの体勢が楽であることが、そのままいい写真となるかはいささか疑問である。
確かに、今までなかったようなフレーミングで目新しさはあるだろうが、結局は珍しいだけのもので、ポートレートの本来の魅力とは関係のないこと。

私は、部屋の中での撮影もかなり行なってきたが、ベッドの上やフローリングの床に寝そべったポーズで撮るのが好きだったりする。それは、そんな肢体のポーズが気に入っているだけではないのである。モデルが横になるということは、顔の位置は当然かなり低くなるが、それと目線を合わせるには私も同じように寝転がる必要があるわけだ。
ベッドの場合でも、枕元にひざまずいて上体をベッドに預ける体勢となる。私が求めているのは、そのようなモデルとの距離感なのである。それを、地面のタンポポを撮るようにライブビューで撮ってしまうなんてもったいないことは絶対に出来ない。せっかくのシチュエーションが台無しとなってしまうのだ。

モデルはレンズに目線をくれるだろうが、ライブビューで間接的に見られているのと、同じ目線の高さからファインダーでレンズを通してカメラマンに見つめられているのとでは、かなり気分的に違って当然なのだ。意識散漫になってしまうのは、普通に考えれば分かることだし、まなちゃんのようにイメージを膨らませて気分を高めていくようなモデルであれば、ライブビューなんて使って喜んでいてはいけないのだ。

それから、目覚しい進歩が見られるのが、ニコンであればアクティブD−ライティングなどの技術であり、白トビや黒つぶれがかなり回避できるばかりではなく、ラチチュードが広がったのと同じようにハイライトとシャドウが両立出来てしなうのである。露出にシビアなリバーサルフィルムで、1/3EVにこだわって露出を決定してきた私にとっては、こんな安易に露出をカメラ任せにしていることに罪悪感を伴った居心地の悪さを常に感じつつ撮影しているのである。また、それで結果が出ているのだから、さらに気持ちが悪い。とにかく、真っ白に飛ばしてさえいなければ、シャドウ部分は持ち上げてくれるのである。
以前のように、現像から上がってきたスリーブをプロラボのライトボックスで確認した時のような、ドキドキ感や露出がイメージ通りに決まっていた時の満足感に浸るようなこともなくなってしまった。
また、リバーサルフィルムであれば、そのポジが結果の全てであったが、D300がアウトプットするRAWデータは、レタッチ前提の素材であると、デジタル写真の世界は私に語りかけてくる。
言葉は悪いがレタッチでどうにでもなる世界となってしまった。最近の優秀なRAW現像ソフトで救えないようなモノはカメラ任せにしていても、よっぽどドン臭いことをしない限りなんとか救えるように性能はあがっている。

もうひとつの変化としては、画像データを作成するのがデジカメであるが、それがそのまま成果物となることはない。どこかしらいじってしまうものである。過去にフィルムスキャナーで画像をアウトプットしていた時期は、出来るだけポジに近づけることを意識していたわけだ。しかし、Photoshopを駆使してもそこまでには到底及ばないものであったのだ。
その点、デジカメが吐き出した画像は、その元となるポジにあたるものがRAWデータとなるわけだが、そのままjpgに落として終わりとはまずならない。RAWデータは銀塩時代のように最終成果物ではなく、そこに到達するための素材でしかない感覚となっている。そして、それをRAW現像ソフトで仕上げる作業も結構楽しいのであるが、いじくり回して見た目の印象からかけ離れたものにすることに抵抗が無くなっている人が多いが、私は古い人間であるのか、それがどうしても出来ないのである。
しかし、「真実を写す」から写真というのだろうが、絵画的に必ずしも見た目の通りに仕上げなくてもいいわけだ。余計な先入観をいつまでも持ち続けるのも時代遅れなのだろう。
私は、撮影中に思い浮かんだイメージで、モノクロフィルムやISO1600のフィルム、そしてタングステンフィルムを使ったりしてきた。もっと言えば頭に浮かんだイメージで露出補正を大きく変化させたことも多かった。それも、見た目の通りに撮ったとは言えないわけだ。ただ、それを撮影後PCに向かってそれを行なうか、現場で行なうかの違いである。しかし、それって大きく違うような気がする。


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