自分が気持ちのいい構図が一番
銀塩からデジタルに主役が交代して久しいが、一気に写真人口が増えたことだろう。それに伴って写真関連の雑誌も増えたように感じる。昔からある老舗雑誌に加えてデジタルカメラに特化した雑誌が多くなってきた。私もD300を購入するにあたって、その辺の雑誌を買い込んで情報収集をした。
ここ数年、この手の雑誌をほとんど買うことが無かった私であるが、最近思うのはハウツー記事を多く見かけるようになったということ。
延々と、構図について説いてある雑誌を見たが、私も大昔はこのような構図の基本形を覚えようとしていた記憶がかすかに残っている。
しかし、今となってはそれを思い出して撮るようなことはほとんどないが、写真を引き立たせる構図って言うのは確かにあって、自然とそれを意識するのがカメラを構える前から習慣になっている。
私の好きな構図っていうのは、最初の頃から変ってないのだが、奥行感のある絵が好きである。だから自然と撮影中もそんな場所を無意識に探しだしているのでる。
見通しのいい構図とでも言うのだろうか、ファインダー全体に対してモデルが占める割合には関係ないのである。広角レンズでパースを強調したからと言って、私の言う奥行感にはならない。
そういえば、その逆の構図ってのはかなり少数になってくる。同じ壁にもたれるのでも、壁の面と垂直の位置でカメラを構えて撮ることは極端に少ないのである。
壁際にモデルを立たせて撮ることは結構好きでよくやるのだが、大体が斜め30度までの角度である。壁にもたれることでモデルも無駄な力が抜けて都合がいいこともあるが、尾道のように古びた壁が奥に続くような構図が気に入っている。
また、短いトンネルなんかは大好物で、ローカル線だとほとんど列車が来ないので、そこの入り口辺りから出口に向けて撮ることも好きだし、レールがずーっと続く感じもいいものだ。自然の中で撮る場合は、遊歩道が向こうに向けていい感じに伸びていれば、必ずそこで撮ってしまうのである。
こんな撮影が中心の私であるので、スタジオでの撮影が嫌いなのは仕方のないことである。黄金分割やS字構図など、基本的な構図は頭に入っているのだが、その公式ありきで撮るなんてことは、ここ何年も記憶が無いことである。長年写真を撮っていると、左脳で公式を考えるより勝手に右脳がバランスのいい構図をイメージさせてくれるようになってくる。
以前、アラジンこと荒木英仁カメラマンに、広角レンズの使い方が上手いと言われたことがあるのだが、それは言われた本人が一番驚いたのである。特に最近はD300で使えるいい広角レンズを持っていないこともあって、あまり使っていないのである。私は広角レンズを使った時は奥行感はそれほど意識していない。どちらかと言えば、モデルとの距離感を考えてのことがほとんどである。
理屈っぽいハウツー記事に惑わされることなく、またそれを覚えて頭でっかちにならずに自分の気持ちのいい構図で撮れば、それが一番楽しいのである。よっぽど、頭が狂っていないかぎり、他人が見てもいい構図に感じるはずである。
知識は知識として頭に入れておいて損はないが、撮影時は特にポートレートではあまり理屈にとらわれていてもいいことは無い。
デジタル時代になってから、特に理屈っぽい能書きが先にくる人が増えたように思う私であるが、コンピュータのプログラミングでも格好つけたSQLを書いて自己満足に浸っていても、結局パフォーマンスが悪くてチューニングを受けるハメになるのである。