自分のカメラを好きになれ


先日購入した、シグマの30mm F1.4 EX DC HSMであるが、早速ポートレートでの実写テストを行なってみた。その結果、かなり悩ましいAFの癖が出ることが判明。
縦位置に構えた状態であれば、中央より上部分のAFポイントから任意に1点選んでの撮影となることが多い。これは50mmレンズと同じような感覚でバストアップでフレーミングし、手前の目でAFして撮ってみたことになる。もちろん、絞りは開放である。その結果、後ピンになることが判明。そして、写った画像をモニターで見ると、かなり樽型に顔が歪んでしまうことも分かったため、それを防ぐために顔を中央よりにフレーミングしてほぼ中央の測距点でAFしてみた。そうすると、これ以上無いと言うほどのジャストのピントとなっていたのである。
そういえば、自宅で三脚にセットしてレンズ毎のAF微調節を行なった時は、ほぼ中央の測距点で完璧に合わせたつもりでいたわけで、端の方はそれほどマメに行なっていなかったのである。
嫌な予感を抱きつつ、再度三脚を立ててのAFチェックを行なってみたところ、確実に横位置で言えば右半分のAFが後ピンになることが明らかになった。クロスセンサーでないので、バラつきがでるのかとも思ったが、何度試しても傾向に変化はなく、端に行くほど外れていくという状況である。

さて、シグマに相談するか、昔のカメラのように中央でAFロックしてフレーミングし直すか、または、その癖を考慮して微調節し、撮影時にすべてをひっくるめて状況判断して撮るかである。
まぁ、F2.8まで絞ればそれほど気になる程ではないのだが、どれだけ絞り込もうがピントが合ってないことには変わりがないわけで、それは気分が良くない。また、一番困るのは、このレンズで撮ることがイヤになることである。しかし、背景を自然な遠近感で見せることが出来て、その出しゃばり具合を絞りで調節できるこのレンズはどうしても必要となってくるわけだ。
また、標準ズーム域を私は単レンズでカバーしようと思っているが、この30mmがコケるとその構想が崩れてしまうことになる。F2.8の大口径ズームと言えども、単レンズの明るさにはかなわないし、もともと、標準ズームと言うものをあまり使ったことが無い私であるから、単レンズをとっかえひっかえしながら撮る方が性に合っている。このレンズ交換のタイミングが、打者がバッターボックスを外すようなもので、ポートレートでの私のリズムにもなっている。
とは言いながら、24−70のナノクリ・ズームなんての買ってしまうと常用してしまうかもしれないが、今のところは70−200のF2.8ズームの方が先に欲しかったりする。

この70−200だが、VRレンズではあるがそろそろモデルチェンジの噂もチラホラである。しかし、これを気にしだすと必要な時にレンズが無いことになってしまうので、あまり悩まないことにしている。ちょっとばかり、レンズネタで愚痴っぽくなってしまったが、次の話題はそれどころじゃないぐらい、パニックに陥っている人たちのこと。

レンズのライフサイクルは長いが、デジタルになってからはボディーの開発スピードの速さには呆れてしまうほどである。半年前にD300を買って、まだ使い込んでもいない内に今度はD700だとさ。D300そっくりのボディーにFXフォーマットを載せたらしい。しかし、銀塩時代の私のようにEOSの上位機種を常に最新で揃えるようなことを今の時代にやっているのはかなりの機材オタクだけであろう。
ただでさえ、操作や設定がややこしいデジタルで半年ごとにボディーを変えていると、作品創りどころではない。
それに、今のところDXフォーマットで困っていないのであるから、わざわざ30万出して一時の最新機種を買う必要はないと思っている。まだ、同じ投資をするならレンズが欲しいと思ってしまう。

なんだか、最近のデジタル一眼の状況をネットで知る限り、どうしても大人がおもちゃを手に入れては、飽きて買い換えて、色がどうだ解像度がどうだ、高感度特性がすごいとカメラの性能だけを比べて遊んでいるだけにしかみえない。そんなユーザーが多いことで、メーカーもそんな連中を相手に商売をしなければならないので大変だろうなと、同情してしまう。
今回もD700が正式に発表される前から、ネット上での機材オタクたちのはしゃぎ様ったら凄まじいものがあって、逆に真面目に作品を創っている者としては醒めてしまうのである。
こんなにカメラのデジタル性能に過敏に反応する連中がネット上で大騒ぎすると、当然それが目立ってしまうわけで、それがまた嬉しくてさらにヒートアップし、あちこちで火花を散らすわけだ。なんで、そんなに新製品や他メーカーのこと、他人の機材が気になるのか不思議で仕方が無い。自分の機材をもっと好きであって欲しいものである。
情が移るほど使い込んであげてこそだと思うのだが、私の考えは古臭いののだろうか。愛情をもつとは、キズがつくのを恐れて生卵を扱うように使うのとは意味が違う。転売時の下取り価格のことなんてどうでもいいことだ。レンズでも、光学性能がまったく落ちない保護レンズを探している人がいたが、そんな暇があれば一回でも多く撮りに出かけようじゃないか。
ネットで騒いでいる諸氏は、手の届きそうな価格でD700が出た途端、急にFXフォーマットの優位性を色々とうんちくを並べたてて唱えているが、それって、新しいモノが欲しいからその言い訳を無理やりひねり出しているだけであるのは、彼らの撮影実績を見れば明らかだ。もう、人種が違うって感じだ。2000年ぐらいから感じ始めていたことだが、新しい種類のカメラマンが出現したのは間違いないし、とんでもない繁殖率なのだ。
確かに、私だってデジタル一眼を買おうと思いだした時には、フルサイズじゃないと意味が無いなんてことを思ったりしていたが、実際にD300を買って使い込んでいくうちに、可愛くなってくるもので、そのうちもっといいレンズを着けてやるからなって思うのである。

早く、各社がデジタル部分の性能を競いあっての、短いサイクルでのモデルチェンジ合戦は落ち着いてもらいたいものである。そして、カメラとしての基本部分の造り込みに重きを置いて、じっくりと付き合えるようなカメラを売ってもらえるような時期が来て欲しいものである。そのためには、ある程度時代のブームに乗せられた連中が他のおもちゃを見つけてくれて、この急流滑りのような流れが、どこかで緩やかになることを願っている。
表面の塗装が剥げてもなお、使い続けたくなるようなものがカメラだったわけで、そんなカメラが出てきて欲しいものである。写真って、性能ばかり気にしたギスギスしたもんじゃなくて、被写体を目一杯感じるもんだろう?


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