値段相応の価値を見出せ
なんじゃ、最近のこの暑さは。今年は梅雨の期間が非常に短くて、あっという間に真夏がやってきたようだ。以前は夏休みに入っても、梅雨が長引いて8月直前まで海に行けなかったことがよくあったように記憶している。天気がいいのは嬉しいが、こう暑くてはかなわない。先週でも私は撮影中に大汗をかいたが、これは夏の撮影ではいつものことで、私はいいがモデルが可哀想である。同時に汗が滴るのでレンズ交換の時にはかなり気を遣う私である。
そういえば、10年前の梅雨の時期にまなちゃんと十津川村に行ったことを思い出した、それは天気予報で十津川が35℃超えを報じていたからである。あの時もかなり暑かったのを思い出したが、梅雨の間の晴れ間に当たったみたいで、あれ以降、私たちは天候にはかなり恵まれてきたわけだ。
カメラのキタムラからは注文していた AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED が届いたと連絡があった。予想していたよりかなり早い入荷だったが、期待通りの仕事をしてくれるだろうか。しばらくは、このレンズに慣れるために使い倒さなければならないが、この暑い時期にやっておくことにしよう。それと初期不良のチェックもしておく必要がありそうだが、銀塩時代はそれほどレンズの不具合は気にしたことがなかった私だが、最近色々と情報が入って来るからなのか、高価なレンズだけに少しは気になるのである。
とにかく、デジタルの時代になってから、ネット上での情報が桁違いに増えたことは事実だ。ネットで一番情報を発信しやすい道具こそがデジカメであるのだから。と言うか、インターネットがなかったら、これほどデジカメは急速に広まらなかったことだろう。
このレンズのメジャー・デビューはおそらくまなちゃんとの撮影になりそうかなと思っているが、これまでの撮影とは少し違ったものになりそうだ。
もちろん、まなちゃんとの撮影はずっとEOS−1系の銀塩カメラで撮っていたのが、D300の投入になってAPS−Cフォーマットのデジタルという、大きな変化がまず第一である。これまでのEFレンズをまったく使わないどころか、焦点距離も大きく異なることになるから、かなり違った絵になるだろう。それに加えて、ズームレンズをメインに持ってこようとしていることも、過去には無かったことである。
銀塩からデジタルへと大きくハードの環境か変ったのを機に、撮り方も変化をつけてみようと思う。その違いがどう出るかを見る上で一番の撮影が、まなちゃんとの『素顔のままで』復活の撮影である。身体に染み付いた私とまなちゃんとの呼吸があるが、それをいい方向に変えていかなければ意味が無い。どうイメージしても単レンズで撮っているシーンしか思い浮かばないのだが、いつものようにまなちゃんと向かい合えば勝手にいい空気になるだろう。
ついに、ニコンの新しい大口径の単レンズがこの秋にもベールを脱ぎそうだ。AF-S 24mm(36) F1.4G、 AF-S 35mm(52.5) F1.4G、AF-S 50mm(75) F1.4G、AF-S
85mm(127.5) F1.4G (DXフォーマットでの換算値) の4本らしい。銀塩時代に刷り込まれた焦点距離のイメージが真っ先に浮かぶが、85mmと50mmは試してみたいものである。今回現行の85mmを見送って24−70を買ったわけだが、どうしてもこの辺の大口径は持っておきたいのが、ポートレートを撮るカメラマンの本能のようなものだ。しかし、私が欲しいと思うレンズはどれもこれも高いものばかりで、新しいレンズは軒並み高いプライス・タグをぶら下げるようになってきた。
銀塩時代は、EOS−1Vにしても、F6にしてもいい値段はしていたが、その後のデジタル一眼がとんでもない価格設定で登場したことで、完全にユーザーの金銭感覚が麻痺してしまったのを見越してのことではないかと勘ぐってしまう。サードパーティー製のレンズとの価格差は広がる一方に感じる。
レンズに10万以上は当たり前になって、このハードルを一度越えるとレンズ沼どころか地獄に落ちそうだ。20万のレンズを買う前に、一度20万あれば、他のジャンルで何が買えるか考えてみることをオススメする。毎日家族で楽しめるフルハイビジョンの地デジTVが買えるわけだ。古いアナログTVからの違いは、レンズが大口径になった以上であることは明らかである。しかし、無駄遣いにはもっと上があって、カメラと同等の道楽とされているクルマであれば、サスペンションやホイルを替えると簡単にこれぐらいの金額になってしまうから、それよりはましか・・・なんて思ってしまう。
その両方を好き放題やっていた私だが、そろそろこんなことから足を洗わねばと思いつつ、レンズと地デジをまとめて買ってしまったのである。