デジタルになってから・・・
あぁ、忙しい一週間だったこと。先週末は20年以上世話になっている方の家で不幸があって喪服で過ごし、その後は月末までに終わらせなければならない仕事に追いかけられていたわけである。
それで、ちょっと間が空いてしまったが、これからもしばらく忙しさに負けてしまうかもしれない予感がしている。
D700が出てニコンが元気だが、確かにFXフォーマットの高感度性能は羨ましい。銀塩を使い倒していた私としては実感はないが、便利であることは間違いなさそうで、いちいちフィルムを替えてもISO400ぐらいが精一杯だったリバーサルとは別世界の性能だ。時々ISO1600のフィルムで粒子が荒れてハイコントラストになった雰囲気を得ていたが、デジタルの高感度ノイズとはまったく違うものである。
D300はISO800ぐらいから怪しくなってきて、使うのをためらいたくなるが、ポートレートではこの性能が致命的になることはない。
D3は私が考える一眼レフの値段としては高いので購入を控えたが、D700もまだまだいい値が付いている。その割には持ち物としての出来栄えはD300の方が上であるから、当分はD300でデジタルを勉強したいと思っている。
デジタル一眼使いとしては、私は初心者も同然のキャリアしかない。いくら銀塩で何十年も撮った経験があっても、素直に初心者であることを認めて、色々と吸収することがこれから山積みなのである。
WBやISO設定など、日々色々と気付かせてもらいながらの撮影が続いているが、いつでも私の撮影に付き合ってくれるモデルがいることは有り難いことだ。
新しいレンズを導入した時は、いつも撮らせてもらってデータ収集を行なっているが、この作業が銀塩時代とは比べ物にならないぐらい増えているように感じるのである。
AF精度ひとつとってみても、昔はそれほど気にしなかった私であるが、モニターで等倍で簡単に鑑賞できてしまうデジタルは、フィルムひとコマを拡大していた時代とは、やはり大きく変ってしまったようである。
私自身が歳を重ねて、若い頃に初代のEOS−1でノウハウを蓄積した頃より脳みその性能が落ちただけなのかもしれない。実際、あの頃は撮影中に瞬時に色んな操作が閃いて、カメラを操っていた記憶があるのだ。
頭が回転が鈍ってきている上に、デジタルの膨大な設定と操作の煩雑さが追い討ちをかけているのだろうか。でも、70歳超えたご老人でも結構頑張っていい作品を撮っているのだから、ボケ防止には持ってこいなのかもしれないが、ここ5年の飛躍的な進歩がこれからも続くとなれば、マン・マシン・インターフェースにメーカーは力を入れて欲しいものだ。機械に強い私がそう思っているのだから、途方にくれるかフルオートで撮ることに決めている人も少なくないのではなかろうか。
そして、私が最近感じることだが、こういうデジモノにめっぽう強い人種がいて、最新のデジタル一眼を軽々と使いこなしているが、そういう人の脳みそはどうも写真を上手く撮る人の脳みそとは構造が違っているようだ。文系と理系に分かれるようなものだろうか。
お笑いのロザン宇治原のようにその両方で高水準な天才的な人も中にはいるだろうが、その人が写真を撮っている確立はさらに低くなってほとんどお目にかかれないことになる。
デジタルになってからと言うもの、写真の見方が大きく変わった気がしてならない。作者としては、もっと雰囲気を感じてイメージを膨らませて欲しいのだが、画質ありきになっているのが現状である。そりゃ、銀塩時代は同じフィルムを使えば、同じ焦点距離のレンズで同じ絞りとシャッター速度であれば、出てくる絵に大差は無かった。
それに引きかえ、デジタルになってからは、機種ごとに画質が異なるのだから、そっちに興味が行くのは無理も無い。しかし、私は天邪鬼なので、今後ポートレートの新作をここで公開する際には、あえてExif情報は抜いてやろうかと思っているのである。まぁ、ささやかな抵抗ってところかな。