被写体は変れど


最近、クルマの写真を撮ることが多い。私のクルマは色が濃いので露出的にはポートレートとまったく違う補正が必要となる。また、肌と違って光を思いっきり反射してくるので、それも考慮する必要があるし、ボディに自分自身が写り込んでしまうなんてことも多々ある。
しかし、それも上手く使えば周りの景色の写り込みを効果的に使うことができるのである。クルマのデザイナーは写り込みも考えてデザインするらしいし、ベンツなどは運転席から見えるボンネットの造形も考えていると何かで読んだことがる。たしかに、それは私もなるほどと頷けたのである。私自身もベンツの運転をしていて、スリーポインテッド・スターのマスコットがボンネットの先端に付いていることだけではなく、前方に広がる視界に雰囲気を感じていたことを思い出した。車検などで国産の代車に乗っていて、ベンツに乗った瞬間に気分が高まったものだった。

ポートレート以上にレンズ選びで写り方に変化を出せるのがクルマの写真であると感じている。
元々4m以上あるような巨体であるから、望遠レンズで圧縮効果を効かせのると、広角で撮るのではまったくイメージの異なる絵となるわけだ。ポートレートの時以上にレンズの選択で変化を感じることができるが、それだけにレンズ選びを誤るとせっかくのデザインを台無しにしてしまう。人の顔なんて、左右非対称は当たり前だし極端な話し適当なものとも言える。その点クルマのデザインは苦労してベストバランスを追及しているのがよく観察すれば分かる。

また、最近では日本車もメーカーごとにデザインに特徴を持たせることをかなり意識してきたようだ。車種構成が少ないマツダやミツビシなどは特にそれを感じるが、それをアイデンティティーと評価するか、似たようなデザインの繰り返しと感じるかで大違いである。
ベンツやBMW、そしてポルシェ911なんて、何十年も前からそうであった。アウトバーンで後方から接近してきたクルマがすぐに分かってファミリーカーは車線を譲るわけだ。そのトップスリーに急接近してきたアウディーも最近は独自のデザインを確立しつつあるようだ。
その点、世界のトヨタは売れているクルマがあるとそのシェアをことごとく奪ってきて今の地位を築いたわけだが、そのせいなのかどうも一本筋が通ったデザインのカラーが感じられない。それをバリエーションが広いと評価するのかは意見が分かれるところだろう。

工業デザインの最たるものであるクルマを撮ることと、ポートレートでは大きな違いがありそうだが、いざ撮ってみると同じ感覚で撮影している自分がいることに気付いたわけだ。露出の決定などはまったく違うのであるが、私が与えたロケーションの中で佇む主役たる被写体は艶かしい曲線を画いてそこにいる。
そんな被写体をどう切り取るかだが、図体の大きなクルマの場合はそう簡単に駐車位置を変えることも出来ないし、何処ででも撮れるわけではないから、光の向きと背景のバランスと雰囲気を決めたら、撮り手が動き回って最適のフレーミングを探すことになる。モデルと違って、声を掛けたりのコミュニケーションでは何の変化も見せない相手であるが、見る角度と使用レンズで表情は変化する。
猛々しいデザインのクルマなら男っぽさをイメージして撮るし、流麗な曲線で包まれたデザインのクルマなら女性的な部分をイメージさせる角度や構図を探すわけである。
ただ単に写真を撮りましたじゃ、そこから伝わって来るものはなくて、ポートレートとまったく同じことが言えるのである。


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