普段から思い巡らすこと


以前は、暇さえあればカメラバッグを開けて、ごそごそ撮影の小道具を作ったりしていたが、最近はクルマのボンネットを開けることが多い。一時期、ルアーフィッシングに凝っている時は、ルアーの入っているタックルボックスを開けて、ルアーのチューニングや自作を行ったり、リールのチューニングにも精を出していた。そんな時は、仕事中や運転中など普段の生活の中でも、いろいろとイメージを膨らませているのである。
撮影に関してなら、映画を観てても映像にストーリーそっちのけで、見入ってしまうことも多い。ルアーなら、このようなシチュエーションなら、どんな種類やカラーで、どれ位の深さを、どんな泳ぎをするルアーが必要かな・・・なんて具合にイメージするわけだ。また、クルマであれば、どのような配管でタービンの加給をコントロールすれば効率がいいかなどである。

写真では、銀塩時代はCCフィルターをたくさん使っていたし、前ボケを簡単に作るクリップなど色々と思いを巡らすことは大事なことである。しかし、デジタル化がこれだけ進むとCCフィルターは持っていかなくてもいいやって思ってしまう。
ホワイトバランスである程度コントロール出来てしまうし、レタッチで調整も簡単であるから。
ただ、イメージが出来上がっていないと、デジタル時代になってレタッチするにも、方向性が決まらず時間ばかりがかかると同時に、レタッチのステップが増加し画質に影響が出るだけだ。
また、撮った時に感じたイメージが残っているうちにRAW現像は終わらせておきたいものである。後に撮影時にイメージした結果を無視して、異なる方向性にレタッチで変えてしまうのは好きではないし、何か違うと思うのである。

クルマの改造にいたっては、プロセスがイメージできていないと、どれだけのパーツや工具を事前に揃えておかなければならないかも決まらず、バラしたまま作業が完了できない最悪の状態になってしまう。
エンジンや足回りは、作業を始めたら一気に完了させないと、走れない状態となってしまうが、元に戻すのは効率が悪いしモチベーションの低下もはなはだしい。内装やオーディオ程度なら、走るだけなら影響がない場合もあるが、ごちゃごちゃした配線類がむき出しのままはいただけない。

とはいいながら、このエッセイは何を書こうか事前に構成ができていないまま書き出すことが多く、おそらく読んでいる人は、結局なにが言いたいの?っていつも感じていることだろう。しかし、思いつくまま書いているのだから当然そうなってしまうので、申し訳ないが我慢していただくほかない。ポンと最初の2、3行が出てくれば、後はそのまま流れで書いているのである。

最近は、クルマいじりはひと段落させて、また撮影に力を入れていこうと決めたわけで、特に作業のネタもないのに、ボンネットを開けて全体を眺めていることが多い。そうしていると何かしらやることが見つかるものである。びっしり詰まったエンジンルームであるが、後付けしたパーツのレイアウトを変えたり、あちこちの増し締め。先週は熱で劣化していると思われるノーマルのゴムホースをすべて鮮やかなブルーのシリコンホースに総とっかえしたが、色々とすることは見つかるものである。
休日になれば、いつもクルマの周りにパーツや工具を散乱させて作業している私であるが、いつものことなので近所の人たちは、また何かやってるなと思っていることだろう。
若いころは、裸電球を吊り下げて夜でも作業していたから、それに比べればどうってことはない。

GWに撮影するので、そのロケハンも兼ねて週末は出かけてきた。花見のシーズンなので人混みを避けるように、サンルーフを全開にして田舎道を走ってきた。最高の花見日和であったが、閑散としているいい場所がいくつも見つかったので、とりあえず撮ってきた。
実際にポートレート撮影する時には桜はないが、森林浴ができそうな場所で撮るつもりである。


<−戻る