『素顔のままで』第31弾!
6年半のブランクを経て、まなちゃんとの『素顔のままで』31弾の撮影とあいなった。
これだけ間が空いたのは単にお互いにプライベートで色々あったりしただけで、縁が切れたわけではなく、「そろそろ撮ろうか」の一言で充分であった。
住まいが近いので、以前のように広島まで私が行くことを考えたら楽すぎるほど楽なものである。6年半の歳月も、撮りだせばあの頃のように・・・とまでは100%言えないが、それは微々たるものである。しかし、戸惑うことはないが完璧な阿吽の呼吸が一瞬で蘇えったといえば嘘になると思っている。
とは言っても、初対面のモデルとの撮影に比べれば、比べものにならないぐらいすんなりと入っていけるのは、お互いの身体に染み付いたリズムがあるから当然のこと。
違うと言えば、銀塩時代のように36カットでフィルムチェンジが無くなったことが、二人のリズムの中の音符で言えば休符のようなものが無くなったぐらいか。
しかし、これは逆にありがたいことで、いい流れでノッてきたところで、フィルムチェンジにならないのは、大歓迎すべきことである。
事前にまなちゃんから、どんな服を来ていこうかな?って連絡があったので、新緑の自然の中で撮る予定だと伝えたら、それじゃカジュアルなの着るね。ってことになった。あえて、今回は細かく撮影プランを練るのをやめていた私なのである。
『素顔のままで』も30回まで進んでいて、今回31回目であるが、その間にお互いに色々と変化があったわけで、『素顔のままで』PartUの第1弾と考えている。それで、10年前の初回の撮影の時と同じで、成り行きに任せようと思ったわけだ。そこから何が生まれるかが、私たちペアの原点であるから。
ドライブしながら撮影って感じは、広島ロケでよくやっていたパターンでもあり、そこからリズムが刻まれることになる。
まなちゃんは、いつものまなちゃんであり、他の誰でもないことは、最初の撮影ポイントである県立三木山森林公園での撮影ではっきり分かったと同時に安堵し懐かしさが溢れたわけである。
その後、更に西に向かって進むわけだが、加古川付近では川が多いのもあって、広島の三次を思い出すと言っていたまなちゃんであるが、それもいい撮影に繋がったのではないだろうか。加古川と言えば名物は“かつめし”である。まなちゃんはどこで看板を見つけたのか、かつめしに興味津々のようなので、有名なかつめし専門店でランチタイム。
その後、鯉のぼりが泳いでいる場所を経由して、私の好きな無人駅へ。この駅に着いた瞬間に、まなちゃんは「セットみたい!」と言ったが、なんとも雰囲気のある駅なのである。モデルが気に入った場所で撮ることこそが、いい撮影に繋がる。
まなちゃんは、後半から肩の力が抜けていい感じになっていると言っているが、私も同じかもしれないな。
こんな感じで撮影を進めていったわけだが、鯉のぼりのポイントでトラブルが発生していたのだ。50mmレンズに交換した瞬間から、シャッター速度が1/400secより速くならない状態になり、当然結果はとんでもない露出オーバー。まなちゃんがいい表情を見せてくれていたので一気にシャッターを切ったが、液晶モニターを見てぶったまげた。レンズを色々交換したが治らず、ライブビュー撮影をしたら正常な露出になり、それ以降は再発していない。これだから、電子機器化したカメラは困る。惜しいカットを何枚か失ってしまったが、気付くのが遅れていたら大変な損害である。いちいち液晶画面で確認するのは好きじゃないので、気になるトラブルではある。
D300でポートレートを撮ることになって方針転換したこととして、著しい進化を見せるズームを主戦力にしようと思い、AF-S 24-70mm F2.8G EDを思い切って購入したわけだ。これまでずっと単レンズ中心の撮影であったが、この1本でほとんどをカバーしてくれるので、何の違和感も無く80%以上を、AF-S 24-70mm F2.8G EDで撮ってしまった。逆光が基本のポートレートでもナノクリレンズは安心して使えるし、ズーミングで画角を微調整できるのは、正直言って便利である。
ピントも他のレンズよりシャープで十分使える確信を得たが、他の単レンズは大きなボケが欲しい時に使ったが、どうしてもピントがシビアである。簡単に言えばピントのバラつきが出るというか、被写界深度の浅さと相まっていささか不満の残る結果となっている。それもあって、AF-S 24-70mm F2.8G EDの出番が多くなるのである。
まなちゃん的には、撮影の再開は生活のいい刺激になるようで、体型の維持にも美容にもいいようだ。それで、次の撮影は都会的で大人の雰囲気で行こうと思っている。