いい時代に生まれたかも


そろそろ、ポートレート撮影の時期が訪れようとしている。朝夕はかなり涼しさを感じるようになってきた。どうせ残暑が戻ってはくるだろうが、今年の短い夏も終わりが見えてきたようだ。こうなると、そろそろちゃんとしたポートレートを撮る準備にはいらねばならないな。

気温が20度台に下がってくると、体調と同じようにクルマの調子も良くなっているようで、エアコンが全開でないのと同時に水温計の針も90℃を下回ることが多くなって燃費も良くなってきている。
納車されて初めての真夏経験だったので、お盆ごろまではどこか故障しているのではないかと思うほど、燃費が落ち込んでいたが、どうも暑さが原因だったようである。

さて、ポートレートを撮るとなると、以前は新しいレンズやボディを引っさげて撮影に挑むことが多かったが、最近は新しいものは、まったくネタがない状態。どうしても、VR−4のパーツを買ってしまう私なのである。
しかし、気になるニュースが飛び込んできた、AF-S NIKKOR 70-200mm F2.8G ED VR IIがもうすぐ発売になるらしい。ただ、予想通りの結構な値段であるが、このクラスのレンズを買っておけば長く不満なく使えそうである。しかし、安いレンズの3倍の価値があるかといえば、微妙なところである。
ポートレートでは、あれば非常に重宝する大口径望遠ズームであることは充分承知している。モデルとの距離が近い個人撮影であっても、必ず一度は装着するレンズである。
ポートレートに限らず、風景写真ではなくてはならないレンズで、これから紅葉の撮影には欠かせない描写を約束してくれる。

手振れ補正もかなり進歩しているらしいが、それがないサードパーティ製でも充分な気がしている。NIKON製品であることに見栄を張るだけが目的なら差額が大きすぎる。確かに望遠域では手振れ補正の機能はありがたいし、特にデジタルでは少しのブレも等倍に拡大すると表面化する場合があるので、そこを腕でカバーする努力をするか楽をするかの選択である。
肝心な写り具合であるが、ナノ・クリスタル・コートが入ったことが私としては大きいのである。逆光で撮ることが多い私であるから、フレアーが発生しないのは魅力的だ。レタッチでフレアーをある程度除去することは可能だが、こんなものは最初から無い方がいいに決まっている。

いい製品が出て選択肢が広がることはいいことだが、当分新しいレンズの投入はないだろう。欲しいレンズはすべて高価なものばかりで、このご時世では我慢我慢と。

毎日使うクルマはいつどこがトラブるか分からないので、その時の突発的な出費に備えておかなければならないわけである。とりあえず夏の盛りは越したので一安心といったところか。
トラブルもあるが、毎日通勤で40km走っているが、ある程度のタイミングでどこか弄っていないと、新鮮さがなくなって運転していて楽しくなくなるのが私のお決まりのパターンなのである。
ちゃんと動いて目的地まで運んでくれればそれでいいというような、一般的ドライバーとここが大きく違うところなのだ。
増してや、来年の今頃はエコカーがうじょうじょしていることだろうが、本格的なエコカーの時代が来る前に楽しめるだけ楽しんでいたいと思っている。
しかし、よく考えると私はクルマの一番オイシイ時代に生まれ育ったのかもしれない。

私がクルマに興味を持ち始めた頃は、とんでもないマッスルさを誇っていたアメ車の全盛期であり。国産車も急速に進化をしていた時代であった。そして自分が運転する頃には、その進化も安定期に入り、次はターボ全盛のパワー競争の時代に突入していったのである。
そして、今はパワーも70年代では考えられないほどまで行き、当時のスーパーカーのパワーの国産車が普通に公道を走っている。
そして、旧車ブームまで起きており、ハコスカだの初代のZなどのレストア車を当時憧れだけで買えなかった人たちがセカンドカーとして、所有することで異常なプレミア価格となっている。

同じことがカメラにも言えて、完全マニュアルのペンタックスで写真を撮りだし、コンパクトではキヤノンのダイヤル35とか言うハーフサイズは、貧乏な小学生には2倍の枚数が撮れるのでありがたかった。その後、キヤノンのA−1でAEの便利さを覚え、まもなくAF時代に突入して行ったことになる。そしてデジタルが生まれ、あっという間に主役の座を奪って久しい。カメラはクルマに比べると開発期間が短くてすむはずだから、進化のスピードも速いが、エコカーが主役になる日もそう遠くないきがしてきた。

機能満載のデジカメは使って楽しいが、エコカーは時代が求めてはいるものの、それだけにはなって欲しくないものである。ライカがデジタルになるのと、ガソリンエンジンが電気モーターになるのでは、私の価値観では決して同じではない。

その他、家電にしろ携帯にしろ、生まれたときには無かったものが、どんどん出てきてこっちが追いつかないほどであるが、楽しい時代に生まれたのかもしれないな。


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