DIYは楽しい


鉄塊のポートレート


クルマの写真を撮って欲しいと頼まれることがある。最近のドレスアップは過激になっており、特に軽四はおもちゃ感覚で弄れることもあって、完全に「大人のおもちゃ」と化している。
昔は、よくコスプレイヤーから、ネットデビューしたいからと、撮影依頼が来ることが多かった。しかし、私はコスプレが大嫌いなので、コスプレ以外なら撮ってあげてもいいと言って断っていた。この一言で100%断ることが出来たのである。
その点、クルマのドレスアップはいいと思うが、通称「痛車」と呼ばれている、ボディにアニメのキャラクターのような漫画を描いたクルマがあるが、あれだけは勘弁願いたい。

私の周りにも、そのおもちゃで遊んでいる人が多く、エアサスに交換して瞬時に車高が変えられるが、一番落とした状態だと、タイヤがボディに接触して動かすことすらできないのであるから、走行性能云々の次元を超越している。
私も、いまだかつてノーマル車高のクルマに乗ったことがないぐらいだから、低いのが好きなのは否定しない。しかし、地面にゴルフボールが落ちていてもぶつかるぐらいの車高は無意味としかいいようがない。しかし、タイヤとフェンダーの隙間も含めて執念にも似た造りこみには恐れ入る。

また、最近はその手の雑誌も多く、見た目重視の改造が主流になりつつあるようだ。「羊の皮を被った狼」なんて昔はよく言ったものだが、今はそのまったく逆ということだ。速く走れなくてもいいから目立ちたいわけだ。
私の行き付けのショップでも、ここ数年はタービン交換どころか、エンジン関係のパーツの売れ行きがさっぱりのようだ。LEDの光物や追加モニターなどの装飾系が多くなり、それに追い討ちをかけて、アジアン・タイヤばかりがシェアを伸ばしていて、売り上げが芳しくないようである。
それに、あちこちでドレスアップ・カー・コンテストが開催されていて、大盛況だと聞く。
そうなると、ショップに求められる技術が変わってくるわけで、エンジンの仕組みに詳しくても、美的センスが無いとこれからはやっていけないだろう。いや、美的というより、ギミック的なアイデアかもしれない。先日のコンテストでは、ミニバンの後部にスロットマシンが設置されていたクルマもあり、ガルウイングはもう普通で、ボンネットが観音開きなんてのもあったらしい。どちらも、まったく走行に関係ないどころか、無駄以外何ものでもないが、人がしないことをして目立てばいい世界であるから、終わりが来ない市場ともいえる。
そんなエスカレート気味の世界だが、その部分を売りにして進出してきているショップも増えてきたように感じる。

以前のように、ゼロヨンなどにはまって、パワーアップに湯水のごとくお金をつぎ込んでいる人は少なくなってしまった。パワー志向が衰退して、速さでギャラリーを沸かせるより、見た目やオーディオを競う時代になってきたようである。まぁ、その方が安全でいいっちゃいいし、女の子のユーザーも参入しやすいから、余計に男どもの気合も入るってものである。
8月末に岡山であったコンテストに出た人の話では、自分のクルマがノーマルに見えてしまったらしく、西日本中から集まった、とんでもないクルマのオンパレードであったらしい。どれだけお金をつぎ込んでいるのか想像を絶する光景で、とてもじゃないが張り合えないと思ったらしい。
それで、その手の雑誌が増えたり、インターネットで愛車の写真をアップするなど、カッコいい写真を誰もが撮りたいわけである。

しかし、コンデジしか持っていない人がほとんどであり、もうその段階で自分にはいい写真など撮れっこないと諦めているわけだ。ポートレートの世界で、コンデジで立派な作品を撮っているACCESSの主宰者である友人もいる。クルマだって、その気になれば撮って撮れないことはないのである。
確かに一眼レフより機能的に劣るのは確かであるが、シャッターを切る前にイメージを浮かべているとは思えない撮り方をしているのが殆どで、それがはっきり分かるのである。
お手軽なコンデジだから、シャッターを押す時もお手軽にということだろうが、レンズの焦点距離や露出はもちろんのこと、フレーミングやロケーションまで、適当でいいわけないのである。

そんな撮り方をしていて、ちっともいい写真が撮れないと嘆いているが、それは当たり前のことなので、100万円の一眼レフを使っても、結果はたいして変わらない。
スナップ感覚で人物は魅力的に撮れても、クルマが相手だとそう簡単には撮れないわけだ。それは単なる鉄の塊であって、何の感情も表情の変化もないのだから、当たり前のことである。
ドライブに行っても、人間は楽しいがクルマは楽しいなんて思わないから、ただ、風景のいい所で撮ったクルマの写真であるにすぎない。

しかし、その鉄の塊にも意志を感じさせるというか、表情の変化を感じる時はあるものだ。それは、ちょっとしたタイヤの角度だったり、光の加減だったりと、色々な要素が絡んでくる。
元々、クルマの前面はフロントマスクと言われるが、人によっては「顔」と表現する場合があるように、生き物の顔をイメージしてデザインされていると思える。

80年代以降、リトラクタブル・ヘッドライトが流行した時期があったが、今では空気抵抗を犠牲にしてでも、その手法を避けたデザインが主流である。それには、昔のように丸や四角のガラスのヘッドライトしか無かった時代に比べて、アクリルでライトのデザインが自由に作れるってのも大きいが、ちゃんと「目」であるヘッドライトを明確に「顔」に存在させた結果であると思うのである。

やはり、普段目を閉じた状態ではインパクトが弱いし、日が暮れてライトを点灯するといきなりデメキンのようになってしまうリトラクタブルは人気が長続きしなかった。
元々、リトラクタブルで登場したユーノス・ロードスターなどが、いつの間にかそうでなくなったことでも分かるはずである。

その「顔」の中でも一番強く印象付けるのがヘッドライトだが、その目力をアップさせるドレスアップは人間のメイクと同じで、一気にイメージチェンジが出来る部分である。
また、古い表現になるが、バックシャンという言葉が大昔に流行った。後姿に見とれてしまうってやつだ。それは前に回れば、大したことがないという意味も含まれていたかもしれないが、それは抜きにして、後姿も絵になるモデルがいる。私も何度か前を歩くまなちゃんの後ろから、追いかけながら撮ったことがあった。
クルマの場合も、後姿はかなり重要で、ポルシェ911は、あの何ともいえないボリュームのある膨らみの曲線に見入ってしまい、思わずぴったり張り付いてしまうことがある。
大体、高性能なクルマは、追い越した後に見せ付けるリアビューが非常にカッコいいわけだ。追い越された相手を納得させてしまうような魔力を持った後ろ姿というものがある。

クルマが一番輝いて見えるのは、走る姿であろう。しかし、自分で撮影するとなると物理的に不可能であるから、いかにイメージを膨らませてあげるかである。そのためには、スーパーの駐車場ではどうしようもない。
自分の気持ちが落ち着くような好きな場所が誰にでもあるだろうから、まずはそこに連れ出してあげたい。
そして、遠くから近くから、上から下から、また、ぐるっと周りを回ってみるのもいいだろ。きっと凛々しい愛車の姿が見つかるはずである。


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