情報過多の時代


最近はクルマ弄りも変化してきて、本来なら性能アップに伴って、それに応じたスタイルに変化していくものである。しかし、今はクルマ本来の性能はそのままで、見た目だけを弄るのが主流になってきたようだ。
車高調整サスが付いていると言うかも知れないが、それは車高をギリギリまで落とす手段に過ぎないのは疑う余地が無く、性能アップどころか地上高が低すぎてハードな走りは到底無理な状況である。
マフラーも同じで周りの迷惑など関係なく、カッコいい音を響かせるのと後姿の見た目をよくするためだろう。

カーショップでドレスアップの専門誌を覗いてみたが、女の子のユーザーが急激に増えているようだ。それもハンパじゃないお金を注ぎ込んでいる。みんなで、この娘たち達はキャバ嬢か?って言ってたほどである。
男のように、DIYで工賃を浮かすようなことはないだろうし、すべてショップ任せだと膨大な請求がくるようなことを若い女の子までがやっているのでる。また、女の子だとメディアも喜んで取り上げるのだろう。
この軟派なドレスアップのマーケットを取り込めるか否かが、今後のカーショップの生き残りを左右するだろう。

しかし、雑誌やネットでこんなのを見てしまうと、さらにエスカレートしてしまう人が増えるのは明らかで、性能云々より目立つことは間違いない。
いくら、パワーを800馬力にしたところで、駐車場に停めていればタダの厳ついクルマでしかない。また、この性能を発揮できて、さらに目立ちたければ一般道で無謀運転するしかない。しかし、ドレスアップやオーディオであれば、存在するだけで一般ピープルに思いっきりアピールできるわけだ。
その大半が眉をしかめていても、彼らは視線を浴びるだけで大満足なのだから、大金を掛けた意味があるのだろう。

クリスマス・シーズンに向けて、庭先をイルミネーションで飾ることが近年流行ってきるが、それも同じで、山奥の一軒家だと飾る意味が無い。誰かが見に来るから毎年エスカレートするのだ。

幼児が、「ママ、見て見てっ!」といつも言っているのも同じで、「すごいネ!」というリアクションを求めているのだから、それに応えてあげるのが筋ってものだ。
誰からも見向きもされなかったら、一気に気分は萎えてしまうわけで、「高速のサービスエリアが若者たちの改造車で占拠されて、大音響でオーディオを鳴らしています」とTVのワイドショーで話題にでもされようものなら、そのニュースが非難の対象であっても、彼らのテンションはどこまでも登りつめるわけだ。

アメ村で奇抜なファッションやタトゥーを彫りまくってタンクトップで頑張っているお兄ちゃんたちは、彼ら本人が自らの姿でアピールしているから分かりやすい。
その反面、クルマってのはちょっと違う。クルマに乗ると人格が変わる人がいるが、それがもろに出る場合が多いから、分からない。クルマとオーナーがどう見ても結びつかないことが結構あるから面白い。
酒を飲むと別人になる人がいるのと同じで、素の状態だと出来ないことが、クルマというものを使って、普段は裏に隠れた本来の自分を表現できることが楽しくて仕方が無いタイプも多いようだ。
たいした収入もないのに、自分を抑えきれない理性を超えた大きな力が働いていることも確かなようである。

同じことが、写真にも言えて、普段は街で女の子に声を掛けることすら出来ない人が、撮影会でモデルの女の子が優しく微笑んでくれ、名前まで覚えてくれたりしたら、舞い上がってしまうのは当然のこと。その段階で、常連が高価な大口径レンズで撮ったと思わしき写真をモデルにプレゼントしているのを見た日にゃ、そのままカメラ屋さんに直行となる。もう、そうなったら止めようがない世界に踏み込んだことになる。
そして、自分が撮った写真をモデルに褒められたりしたら、もう一気にアクセル全開となるが、商売でやってるモデルが喜び褒めるのは当たり前のことなんだが、分かっていても有頂天になってしまう。

人に認められることが何より好きな生き物が人間であるが、他人に感化されるのは、しゃくに障る場合もある。しかし、負けず嫌いの人は身分不相応に頑張りすぎてしまう。
ただ、感化されて煽られるのと、いい情報を得て自分の中でを整理して有効利用するのは、わけが違う。
また、ネットで公開しているものを誰かに無断で真似をされたら、キレるタイプと喜ばしく感じるタイプがいるようだ。真似されたくなければ、公の場に出さなければいいのに、それでは自己顕示欲が満足しないという、ややこしい性格は、今の時代はトラブルの元となる。
自分のしていることを真似する人がいて、嬉しいと思える大人がもっと増えることを望みたいものである。
また、ネット上で知り得た情報を自分の都合のいい利用の仕方しかしない人が多い。それで嘆いている人もいるが、私もその気持ちはよく分かるのである。自分さえ得すればそれでいい考えなのだろう。
写真のことでも、よく質問のメールが来ていたが、それに懇切丁寧に回答しても、それに対する結果報告やお礼の返信がくることはごく稀で、残念なものである。
氾濫するネットの情報はうまく使うべきだと思うが、それに群がって食い散らかすのは感心しない。


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