デジタルになってから・・・


いいレンズで撮って、いい絵が得られると楽しくなってしまい、思わぬ出費をしてしまったことを忘れてしまう。そして、そのレンズが大口径だったりすると、フルサイズのボディだともっといいんだろうなって思えてくるから困ったものである。
いやいや待てよ、広角レンズであったら、もっとレンズ本来の広がり感を出せるのに・・・ってのもあるか。

今は銀塩からデジタル移行で最初のカメラがD300だったこともあり、デジタルはこんな感じってことで納得できている。しかし、骨身に染みた銀塩時代の撮影の感覚はフルサイズ・デジタルへの移行を待ちわびているのかもしれない。
正直なところ、今は新しいレンズを物色する時に、無意識にDXフォーマット専用レンズは対象外にしてしまっている自分が居るわけだ。

以前なら迷わず最新のフラッグシップ機を予約して買っていただろう。過去に銀塩の歴代EOS−1は確かそうであった。
でも、今はD700で充分で、上を見ればきりがないと考えてしまう。もはや家電となってしまったデジカメに、その短い現役期間の最高を求めてもきりがないように感じてしまうのだ。
EOSのkissなんか、最新モデルの性能は銀塩時代では考えられなかったほどのハイスペックを与えられていて、キヤノンという会社が恐ろしくもなる。
なんか、D700を買ってしまうようなことを書いてしまったが、今のD300に不満があるわけではないのである。

不思議なことに銀塩に比べて格段にランニングコストが安くなったデジタルになってからの方がシャッター数が激減しているのである。ひとつ考えられることとして、フィルムは36枚撮りしか買わなかったが、ちょっとしたスナップでもカメラを持って出かけると、全カット撮り切ってしまったというのがある。リバーサルでスリーブ現像が基本だから、費用的に枚数は関係なかったし、撮ったらその感覚が残っている内に現像していた。その結果、言葉は悪いが無駄なカットも多かったわけである。

もうひとつの要因としては、デジタルだと撮った直後にモニターで確認できる。そしてD300のモニターが優秀なのと部分的に拡大表示も出来て、ある程度の出来栄えがその場で確認可能になったことである。それで、満足のいくものが撮れていると、そこで次の撮影に移行してしまう心理が働くのではないかと自分なりに思っている。もちろんそんなことは撮影中になったく意識していないことである。

そんな感じなので、D300は買ってから2年以上が経過しているのに、1万カットに遠く及ばないシャッター数である。連写やAEBでの撮影を行わないのもあるが、それを差し引いても少ないと自分でも思うのである。
こんな状況でD300に不満がないということは、かなり歩留まりが高いのだろうと思われる。
数打ちゃ当たる的な撮り方をしなくてもいいぐらいの技術は持ち合わせているつもりだし、結果がその場で確認できるのだから、不思議ではないのかもしれない。

そんな私のような撮り方にこそ、FXフォーマットがふさわしいのではないかと少しずつ思いはじめてきたのである。
そこで、D700ユーザーの集まる掲示板をのぞいているが、それほど有効な情報が得られることはない。それどころか、買ってすぐに次のモデルの画素数や性能が気になるような話題が多い。そんなことより、せっかく高いカメラを買ったのだから、いい写真を撮ることに集中しろよって思うわけだ。

しかし、そんな話題が出ると、頭でっかちな機材オタクが必ず登場してきて、数字を並べてウンチクを延々と述べるというのがお決まりのパターンである。
銀塩時代には居なかったような人種が、ネットの掲示板にわんさと増えたのは間違いのないところで、機材の性能ありきなのだから、完全に方向性が変わってきたと言えるだろう。
それに加えて、知識比べがすぐにはじまり、挙句の果てには喧嘩に発展してしまって、それに、チャチャをいれる野次馬が加わり、本来の話題そっちのけで罵り合いになってしまう。なぜ、無視出来ないのだろうか。揚げ足を取って相手を追い詰めて、勝った負けたとかいい加減にして欲しいものである。
こんな高飛車な連中がいると、本当の初心者が質問したくても二の足を踏むことになりかねない。一度でも喧嘩を仕掛けた者は出入り禁止にすればいいのだが、面白がっているその他大勢もかなりいるのだろう。

確かに機種ごとの掲示板なのだから、性能を数字で競ったり、けなしたりが多くなるのは仕方がないが、やっぱりカメラは画像を記録するパソコン周辺機器になってしまったと思えて淋しいわけだ。
私もSEのはしくれだから、その手の話題についていけなくてウンザリしているのではない。写真がどんどんつまらない方向に行っているように思うだけだ。
つまらないどころか、デジタルになってからどんどん世界が広がっているのは間違いないし、そうなりかけている。しかし、一部の頭でっかちどもが目立ちすぎ、まっすぐ伸びようとしている新しい写真ファンに不要な影響を与えて欲しくないと思うのである。

また、撮影会でしか撮ったことがない者が、ポートレートを完全に知り尽くしたように偉そうに語っているのもおかしな話で、ポートレートの「ポ」の字ぐらいしか経験していないのにって思うのだ。
目先の機材にばかり気をとられているが、一番大事なモデルのことをどこまで気にかけているのだろう。


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