カメラを愛せ
写真が上手くなりたければ、いい写真が撮りたいと思う気持ちを持ち続ける事が大事である。
しかし、写真集を見たり、入門書を読んで「ウンウンなるほど・・・」と勉強する事はいいことだ
が、その時に片手にカメラを握り締めているか。そして、実際に本で覚えた事を自分のカメラで確
かめているか。
カメラを買った時に付いてくる説明書には目を通したとは思うが、細かい事まで覚えているハズは
ないし、あの説明書を書いている人は写真が好きな人物とは到底思えない。
だから、本で理解したテクニックを自分のカメラで実際に操作して徹底的にマスターするのだ。
当然のことながら、フィルムを入れてはならない。もしくは、一本練習用のフィルムを持っていて
もいい。巻き戻す時にパトローネに巻き込まずにベロを残しておけば、何回でも使える。
とにかく、新しいカメラを買って翌日に大事な撮影に望むのではなく、とことん慣れてからにして
もらいたい。目を閉じても操作できるくらいにだ。
その点、EOS−1からEOS−1Nへのフルモデルチェンジは素晴らしいと思うのだ。確かに一
目では区別が付かないほど似通ったデザインであるし操作性もほぼ同じであり、流石はプロの道具
に徹していると感心する。
EOS−1がメイン・ボディーのプロがEOS−1Nに移行したが一気に手持ちのボディーを一新
したケースもあるだろうが、多くは並行して使っていた。その時に操作性がまったく異なっていた
ら複数のボディーをとっかえひっかえ使う時に迷いが生じるのは当然のことであり、撮影の流れを
妨げることにもなりかねない。
事実、F−1からEOSへの移行はかなり勇気がいったし、途中でT90をはさんだケースも多か
ったのではなかろうか。
新しいモノ好きの私としては、ちょっとつまらない部分がないでもなかった。新しいカメラを買っ
て操作を覚えるのは、かなり楽しい作業なのだ。
話しが横道に外れたが、自分のカメラを使い込んで欲しいのだ。私はカメラコレクターではないし
そんな人種の気が知れない。集めて眺めるのがそんなに楽しいのだろうか?
確かにカメラは写真を撮る道具である、しかし写真の楽しみ方にはカメラをいじることも含まれて
いる。だから、まったく違う機種に浮気して新しい感覚を求める気持ちは私にもある。(女性につ
いても同じことが言えるって?)
変えたら変えたで、またいじくり倒して欲しいのである。大切に防湿庫の中に仕舞い込み、撮影の
時だけ出動するではなく、いつも傍らに置いておくのだ。毎日動かしていればカビなんて生えない
のである。
キズが付いてもいいではないか、下取りの査定を気にするようでは名カメラ使いには絶対になれな
い。そう、カメラの使い手になってはじめて、瞬間的に浮かんだイメージを写真にすることができ
るのだ。
私は、トレンディードラマを見る時にカメラを持ってファインダー越しに見る時がある。レンズを
何本か用意して、主役の女優をファインダーで追いかけて、いい表情の時に実際にシャッターを切
ったりしている。気に入った女優の時などけっこう楽しいのだ。2次元のTV画面であるからピン
トを合わせ直す必要はないが、自分が前後して常にピント合わせと構図とシャッターチャンスを確
認しながらやるのである。そこまでやらないと練習にはならないし、意味がない。
写真を撮る道具としてして生まれたカメラだが、自分が気に入って買ったカメラは自分の感性を作
品にしてくれる分身だと思って、もっと愛するのだ。それは決して箱入り娘にするという意味では
ない。