一瞬を逃すな


最近のまなちゃんの撮られ方が変わってきた。ワンポーズワンポーズが特に明確ではないのだ。
それは、撮るポイントがないと言う訳ではない。
言い換えれば、シーンによっては静止してじっとしていることが無いとでも言うべきだろうか。
今回プライベートで撮り出した時の最初の撮影では、普通の撮影会でのまなちゃんっぽい感じに近
かった。本人はちょっと戸惑ったと言っていたが、2回目以降の撮影からは、私とのリズムを掴ん
だかのように思えた。
私が特にポーズを細かく決めて、「じゃー撮るよ、カシャッ、はいOK!」スタイルではなく、動
きに合わせて、シャッターの付いたビデオカメラのように連続した動きの中で切り取っていくので
それに合った撮られ方になっているようだ。
嬉しいことに、腕を信じてるから自由に動けると言ってくれる。私から言わせりゃ上手く動いてく
れていい表情してくれるから、すっごく撮りやすいのだ。

動きの中で撮ると言っても、垂れ流し状態でシャッターを切っているわけでは当然ない。ピシッと
いい瞬間を捕まえているつもりである。そうでなきゃ、まなちゃんもリラックスした中でいい表情
を作りながら動くことは出来ないはずだ。常にシャッターがカシャカシャ言っていたらメリハリが
無いだろう。
まなちゃんの動きと、シャッターのリズムが上手く噛み合った時は、いい結果が出ている。

須磨海岸の波打ち際での撮影も、一般の撮影会のような撮り方であったなら、今回のような出来は
無かったであろう。その後、大規模な撮影会で海のシーンがあり、その撮影風景を見物させて頂い
たが、実につまらないものであった。
モデルの技量の問題もあるが、動きが無いので表情も硬い、ポーズもぎこちないものだった。

動きの中から生まれるナチュラルな表情を切り取っていくには、カメラマンも一緒に動くのが一番
効果的なのである。でも、ただモデルの周りを動き回ってればいいってことはない。
バック処理や光線状況、それに伴う露出を考えながらであるから、それを頭に入れて動く必要があ
る。
モデルが海に入れば当然、自分も入るくらいの覚悟がなければいけない。近づいたり離れたし、立
ったりしゃがんだりと、常に変化を付けてみたいが、撮る事に熱中して無言になってしまわないよ
うにしなければいけない。
だから、カメラマンとモデルが勝手に動くのではなく、常にモデルとコミュニケーションが取れて
いる必要がある。時には後ろから追いかけてみるのも面白いかもしれない。
重たいカメラを構えてこれだけ苦労すれば、必ず生きた表情が撮れているはずだ。
まなちゃんの場合は、後ろや横にも目がついているかのごとく、シャッターチャンスを作ってくれ
ているのがこちらにも分かるので、一瞬たりとも気が抜けないのだ。
だから、いい表情だと思ってからカメラを構えるなんて、もっての外であるが、イイッと思った瞬
間にシャッターが切れていなければいけないので、常にピントと露出は合わせておくべきだろう。
最高の表情は一瞬で過ぎ去ってしまうのだから。

自然ないい顔ってのは流れの中で出てくるものであり、一瞬の出来事なので、二度と同じ顔をして
じっとしてくれとリクエストをしても意味が無いし、出来るはずも無い。
また、それが出来ないからいいのであって、それを狙うために動き回ってもらうのだから。

表情だけを追いかけていても、後手後手に回る事になるので、ある程度の予測をつけることも時に
は必要になる。今回のように海に入ったら当然波が押し寄せるのだが、この波が曲者でいつも同じ
高さの波が来るとは限らない。ある周期で大きな波がやってくるのだが、その波が来る時がチャン
スなのだ。その大波をかぶったらまなちゃんがどうするかをある程度予測して狙いを付けておけば、
せっかくのシャッターチャンスをモノにできる可能性も高くなる。

私としても、表情を捕まえることに神経が行き、フレーミングがおろそかになってしまうことがあ
った。シャッタを切っている時にそれは分かっているのだが、表情を優先してしまうのである。
それはどちらがいいとは決められないが、両立できればそれに超したことはない。

カメラマンはモデルに育てられるというが、まさに今の私はそう感じているのである。撮影プラン
を考えても、それを実行できるモデルがいなければ机上の空論となってしまうのだが、まなちゃん
はそんなプランを私が説明しても快くOKしてくれるし、実際にやれば完璧にこなしてくれる。
それを私は、事前に抱いていたイメージと重ね合わせてフィルムに焼き付けていくのだ。

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