今年の『素顔のままで』


まなちゃんを、最初にファインダーで捕らえた時には息を呑んだものだ。
しかし、今はそのまなちゃんのモデルとしての才能を私は、上手く伸ばしてあげているだろうか?
また、フラストレーションを感じさせたりはしていないか・・・?

初めてまなちゃんを撮影した直後の感想として過去にこんなことを書いた。
物静かな表情なのだが常に何かを語っているのである。目線の泳がせ方が絶品であり、顔を
動かして後から遅れて目線が流れるとでも表現するべきであろうか。
ファインダーをのぞいて、ものの10秒もかからないうちにこの子はただ者ではないと分か
った。
物悲しいようで、知的であり、鋭くも見え、また優し気でもある。レフを当てるとキラキラ
と輝くこんな目は、ちょっとお目にかかれないものである。単に可愛いとか奇麗とかの俗っ
ぽい言葉で処理したくはない。
一度、下を向いているまなちゃんに、椅子の上から大きな声で、「まなちゃん!!ホラッこ
っち」と呼んでみた。普通のモデルならハッと驚いたように目を丸くして見てくれるのだが、
まなちゃんは、あたかもそれを予測していたかのごとく、落ち着いて自分のペースを崩さな
かった。インハイのストレートを悠然と見逃された投手の気分とでも言おうか。


こんなまなちゃんであるが、私はこの素材を本当に活かしきっているだろうかと思うのである。
しかし、まなちゃんをマンツーマンで個人撮影すると決まった時に、別の側面を撮ることが使命だ
と感じたわけで、それは撮影会でまなちゃんが見せるモデル像とは違ったものにするつもりであっ
た。
撮影者が何をどう撮りたいのか、はっきり分からないままモデルをするのではなく、私の求めてい
るもの、まなちゃんが表現したいものを見据えて、それを昇華させてみたかったのである。

早い話、今まで誰も撮れなかったような写真を撮ってみたかったのである。またそんな表情を引き
出してみたいと思った。
それは、まなちゃんにとっても新しい発見であると思うし、撮影を楽しんでもらえるためには、そ
れしかないと思っていた。

お互いのスケジュールの合間をぬって、無理のない撮影で、とにかく構えた部分は一切排除したか
った。
イメージしたものが形になっていくことの楽しみや、『素顔のままで』を見てくれている方たちか
らの反響メールに支えられてここまでやってきたわけだが、ふと、最近になって冒頭に書いたよう
な思いが、むくむくと湧いてきたのである。
また、一人のモデルを撮り続けることで教えられたことは数知れないわけで、ぽつぽつと違ったモ
デルを10人撮っても得られないものがある。これは実際にやってみないと分からないことだ。

いくら『素顔のままで』というタイトルであっても、楽しく力を抜いた撮影がいいのかどうか・・
もっとまなちゃんのポテンシャルを最大限に引き出してあげれるような撮影を考えてあげるべきで
はないだろうか?
しかし、それはシチュエーションを奇抜なものにしたり、メイクやファッションに凝るという意味
とは、ぜんぜん違うのである。

こんな風に悩むことが、個人撮影の意義であるから、迷惑で邪魔臭いことではなく、贅沢な悩みで
あるのだ。あれこれと考えるに値するモデルを撮れるだけで私にとってはあり難いことで、私自身、
安易に撮ることは自分で許せないのだ。

簡単に名案が浮かぶわけでもないのに、無理矢理ひねり出しても仕方の無いことであり、考えてい
る間に、ナチュラルなまなちゃんの部分が、まだまだ撮れずにいるのでそちらも気になるところだ。
ただ、98/10/17の撮影では、まなちゃんの部屋だけを使ってそれも場所的には2ヶ所しか
使っていないのであるが、面白いものが撮れたのである。
だから、どこかにロケに出ても、森の奥深く入り込んでそこだけで撮影するなんて言うのも面白い
かもしれない。少し前のドラマ『眠れる森』のワンシーンを思い浮かべてもらえればイメージ的に
近いかもしれない。ばたばたと撮影場所を変えるのではなく、じっくりとまなちゃんの表情の変化
を待ってみるっていうのも・・・・ どう思う? まなちゃん。

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