『素顔のままで』そろそろ再起動


さーて、さてさて。、そろそろ『素顔のままで』もまなちゃんの広島行きと、看護学校への入学と
いう大きなイベントも一段落したし、無事ネット復帰もできたようなので、第二ステップを踏み出
すことになるかな。

去年の夏の終わりに第一弾を撮ってスタートしたわけだが、あれはたまたま別件で会った時に時間
があったので鶴見緑地に行って撮影したので、事前の打ち合わせも何もしていないし、具体的なプ
ランもなくて、今考えればとんでもなく馬鹿げた撮影をしたものであり、申し訳ないことをした。
「こんなんだったら、個人撮影なんてしなきゃ良かった・・・」って、まなちゃんに見捨てられて
も仕方のないことだったかもしれない。

あの撮影で、後に彼女は仕事とプライベートな個人撮影の切り分けが出来ずに戸惑ったと言ってい
たが、そりゃそうだ。私だってそうだったのだから、モデルのまなちゃんにしてみれば、どんなふ
うに自分を高めていけばいいのか迷って当然のことである。
但し、このような迷いが出ること自体、彼女であったからかもしれない。何も考えていないモデル
だって多いはず。

今となって思うのだが、まなちゃんは確かにいいモデルであるが、それに甘えていい加減な撮影を
組んでしまっては、彼女の集中力を発揮させてあげる事は出来ない。
自分の得意な表情をただ順番に繰り返して見せているモデルとは、根本的に違うのだ。

その時のシチェーションや光りの状態、着ている服などを敏感に感じてくれるのには、いつもなが
ら感心してしまうのだ。あれは、日頃の練習でできるものではないな、センスってやつだろう。

普段のまなちゃんを知らない人は、本人に会うとそのギャップに驚くかもしれないが、おっとりと
してて、話す時もゆっくりだったりするが、好奇心はとても旺盛だし、時にはすごく行動力があっ
たりて、頼もしく感じる時もある。このメリハリが彼女の魅力のひとつである事は確かだ。

また、まなちゃんは撮影会のような複数が相手の時と、二人っきりの撮影では違っているが、それ
は当然の事。撮影会では、公平に視線を回してくれるが、その目線の流し方なんかはちょっと、他
の撮影会で見てきた多くのモデルとは違っていた。
その時の印象があまりにも強烈だったので、今の関係があるということになるが、その時の水谷愛
とは違ったまなちゃんが、個人撮影では見れているのは当たり前のことで、そうでなければやって
る意味が無いのである。

私としては、まなちゃんは個人撮影向きのモデルではないかと感じている。不特定多数を相手にす
る撮影会でも、もちろん並外れたモデルっぷりを見せてくれるし存在感はすごいのだが、個人撮影
で重要になる撮影プランを話し合えるのは写されるだけのモデルでない証拠だし、撮り手の意図を
感じてそれを表現することが上手いのだ。
だから、私も色々と撮影場所を探すロケハンをしたりするわけだ。それだけの価値があると思うか
らであり、実際に彼女は期待に応えてくれる。

個人撮影では、いろいろ話し掛けたりするのが良いとされているが、まなちゃんの場合は必ずしも
それは当てはまらない。本当に自然でありのままを撮るスナップ的な撮影では別に意識せず撮って
いる。出来るだけ常にカメラを持って一緒に行動するようにしているので撮られることに慣れてき
たようだ。このジャンルについては、友達感覚でスナップ出来ることが目標だから、いい表情をも
らうために、わざわざ声を掛けること自体ナンセンスなわけ。

片や、まなちゃんは自分のイメージに浸ってカメラを見つめてくれてる時が多いが、その時はほと
んど会話らしい言葉は無い。下手に話し掛けると“素”に戻って返事してくれたりするので逆効果
になってしまう時がある。だから私は、そういう時には具体的な話しは絶対にしないようにしてい
る。感覚的な言葉を選んで軽くアクセントをつける程度に押さえておく方が、まなちゃんとの撮影
では一番いい感じだ。
これだけ撮ってくると、二人の“間”というものが出来てきたようで、カンのいいまなちゃんだけ
でなく私もそれが何となく掴めてきているように思える。

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