ポートレートを考える


各界の有名人を撮って高い評価を得、現在は日本で活躍しているカメラマンであるデビッド・ステ
ットソン氏がこのようなことを言っている。 まずは読んで頂こう。

「セレブリティを撮るときは、彼らに敬意は表するが、神のように崇めてはいけない。
 彼らも同じ人間。ただ違うのは、人に抜きんでる何かを持っていること。
 そのサムシング・スペシャルな要素を見せた瞬間をカメラに収める。
 僕自身が正直に接すれば、彼らだって自分の本質を現してくれる。
 単なるカッコいいポートレートはつまらない」


うーん、これを読んで私は共感したわけだ。私自身も、あまりカッコいい写真を撮ろうとしたこと
はなく。気に入ったモデルの彼女本来の姿を撮りたいと思っている。そこにデビッド流に言うなら
ば、“サムシング・スペシャルな要素”が加わればベストだと思っているし、それがあるからまな
ちゃんとゆみちゃんを撮っているのであって、そのためにそれほど凝った演出をするわけではない。
幸い、私のモデルを務めてくれる二人は私が設定したシチュエーションに敏感に反応してくれるか
ら、私なりに彼女たちの“サムシング・スペシャルな要素”を出しやすいように考えるわけだ。

結局、それがいつどこで撮っても同じような写真にならないことにも繋がると考えている。それは
才能あるモデルがあってこそ実現できることなのだ。
これが、ずぶの素人かオバカなモデルであったら、今の私の撮り方ではいつも同じ写真になってし
まう可能性が高い。それはデビッドだって同じ思いではなかったか・・・?
若き日のデビッドはソフィア・ローレンの写真が評価され、またソフィア・ローレン本人にも気に
入られて、今の地位があるわけで、モデルに恵まれたことは否めない事実であろう。もちろん、ソ
フィア・ローレンを撮った多くのカメラマンに勝利したのだから、写真家としての才能があるのは
もちろんのことである。

もう少し、デビッドの言葉を私なりに解釈してみようか。

“彼らに敬意は表するが、神のように崇めてはいけない”

これも考えさせられる言葉であり、私の立場に置き換えると、まなちゃんとは単なるモデルとカメ
ラマンと言う関係を超えて仲良くなっているが、有能なモデルであることの敬意はいつも忘れてい
ないつもりである。また、神のように崇めてはいないが、可愛い存在であることは間違いないので、
疲れていれば気になるし、お腹を空かせている時は好きなものを思いっきり食べさせてあげたいと
思うのである。他にも色々してあげたくなるが、これだけのモデルっぷりをノーギャラでやってく
れているのであるから、決して過保護でも崇めているわけでもないのである。

“僕自身が正直に接すれば、彼らだって自分の本質を現してくれる”

これは言えてるな。でも奥が深そうだ。
この辺は、カメラマンそれぞれ思うところが微妙に違う部分かもしれないが、静止画である写真の
世界では、この差が出やすいような気がするのだがどうだろう?
確かに、さりげない表情を捕らえた一枚の写真から、感じさせてくれる場合はある。

“単なるカッコいいポートレートはつまらない”

私が、常にここで書いていることであるが、モデルをオブジェ的にマネキン扱いし、演出や浮いた
テクニックが先行した撮影は好きではない。あくまでも、そのモデルの女の子の存在感を目一杯出
してやりたいと思うのである。その結果、カッコよければ言うことなしってことだ。

デビッドは、こんなことも言っている。

「僕にとってカメラは、被写体と僕の間の単なる媒体に過ぎない。
 大切なのは、自分のイメージをしっかり持つこと」


これについては、ちょっと意味が違うかもしれないが、まなちゃんの視線がカメラのレンズを通り
越して届いて来るように思う時がある。良い表情をフィルム面に焼き付けることが目的であること
を忘れてしまうような撮影が、本来のポートレートを撮る姿なのかもしれない。

「写真はテクニカル・アート。撮影のセッティングでは、テクニカルな準備を万全にする。
 いざシューティングになったら、イメージを作り上げることだけに集中する。
 二つの切り替えができないと、クリエイティブな写真は生まれない」


まなちゃんによく言われることとして、自分がモデルをしていてある程度はどんな写真になるか、
予想はついているのだが、それを良い意味で裏切っている場合があるらしい。
例えば、この前使ったプロビアの1600もそのフィルムにマッチしたシチュエーションを考えた
り、コントラストが高めになることを予想してソフトフィルターを使ってみたりしたが、撮影しだ
すと、まなちゃんの表情や仕草に集中するし、まなちゃんにも特殊なフィルムを使っていることを
意識させないようにしている。
それで、今回の撮影分ではこのISO1600で撮ったものが気に入ってくれている。

ファッション写真の新鋭である増田勝行氏はこう言っている。
「カタログ雑誌にあるような、モデルポーズは嫌い。
 モデルがマネキンになるのではなくて、人物のキャラクターが浮き出るようにしたい」


やっぱり、こうじゃなくっちゃ!

<−戻る