私のポートレート感


私の撮るポートレートは表情重視であると散々書き続けて来たが、これはどこからそうなってしま
ったのか、改めて考えたが特に思いつかない。
結局、私にとってポートレートとはそう言うものであるということだ。

セクシーなポーズを要求してそれを得意にしている人もいれば、ライティングや衣装などに凝って、
モデルを素材にコテコテの写真を創り上げることに精を出している人もいる。
特殊な例として、パーツに異常な感心を示す人もいるようだ。
みんなそれぞれ自分の好きな撮り方があって、私にも私流があるってことだな。

その点、私は一番ノーマルなパターンであると思っている。
表情と言っても、目線をもらってニッコリだけに指が反応してシャッターを押す人も多いようだが、
私は決してそうではない。
一度、まなちゃんに「Joeさんは笑ってる写真は余り撮らないでしょ?」って言われた事があっ
たが、なるほどそれも一理あるかな?とその時は思いつつ、その場で否定した記憶がある。

まなちゃんの経験上、私のようなカメラマンを相手にした事が少なかったのかもしれない。
また、これほどカメラマンと親しくしたこともなかったであろうが、私は特に笑顔に飢えていない
と言えるのかもしれない。日頃見慣れているからなのかな?
確かに私は今までまなちゃんに、「笑って!」って声を掛けたことがない。いや、それどころか、
笑顔が得意なゆみちゃんに対してもそうだし、他のモデルにだって一度も無い。

これについては、笑って欲しければ、自然に笑わせるしかないと思っている私であるから、「笑っ
て!」と声を掛けること自体がナンセンスなのである。
とは言っても、いつかまなちゃんに挑戦してもらおうと思っている涙を流すシーンでは、無理やり
泣かせるわけにもいかないので、「泣いてみようか?」って誘い水ぐらいはやってみるつもりだ。
但し、しっかりしたシチュエーションを用意することは絶対条件である。

おっと、笑顔の話題のはずが・・・ 『素顔のままで』の中でもまなちゃんの笑ってる表情は沢山
ある。ただ、全体からみたパーセンテージが低いだけである。
まなちゃんは、どちらかと言えば笑顔は得意ではない。しかし、それに引き換えに他のモデルでは
なかなか出来ないような、「語る表情」が出来るのである。
こんな強力な武器を持っているが、緊張と緩和とも言うべきか、時より笑顔が見えるとホッとする
のではないかな? きっと「素顔のままで」を見ている人たちの中にはそう感じる人が多いはずだ。
作り笑いのオンパレードは、見てて楽しいかもしれないが、それも一度だけのこと。二度三度と見
たくなるのは、決してそうではないと私は思っている。

まなちゃんは、私との撮影では本来の自分が出せると言ってくれるが、それを一番望んでいた私と
しては、今のような撮影が出来ていることは、何よりも重要であって、彼女との付き合い方が間違
っていなかったと感じるわけである。
私は、右から左へモデルを変えて撮ることも、変化があって面白いとは思うが、そんな撮影ではど
んな巨匠でも出来ないことをやりたいと常々思っていて、それが出来る立場になれたことを誇りに
思うのである。

同じ被写体を撮り続けることでは、富士山の麓にバンガローを建てて、最高の富士山を撮り続ける
ようなパターンもあるだろうが、私には相手が生身の人間であり、女性であることに大きな意味が
あると思えてならない。
確かに、誤解を招く場合もある。それが私だけに降り注ぐのであれば構わないが、パートナーのま
なちゃんにだって、同じような目を向けられることがあり、それでも彼女はそのことで不満を漏ら
すこともなく、いつも私を笑顔で迎えてくれるのである。

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